最終陳述書

2023年8月21日

近藤ユリ

  • 当訴訟の原告として現在考えること

今回の私が原告となる当裁判における判決がどのようなものになるかについては、勿論私にとって予知できるものではありません。しかし、長期的観点から考えると、判決における勝敗の如何にかかわらず、国連加盟国の76.8パーセントの諸国が複数国籍により寛大な国籍法を有するようになり、他国の国籍を自己の志望により取得しても「元の国籍を喪失させない法律」への改変の動きが顕著である事実は無視できないものであり、日本が直面する世界情勢、海外に居住する日本人の現状を考えても私は近い将来必ず、日本国も裁判の結果によるかまたは国会における立法という手段のいずれかにより、同様な方向性を持つ国籍法に改正されるであろうというと確信しています。

  • 国籍法11条1項関連の4つの裁判

近年、国籍法11条1項を違憲とし改正または廃止すべきとして国を相手  取って起こされた裁判は現在までに4つあります。

 1)2018年提訴の東京における裁判は地裁、高裁での判決を経て、最高裁に上告済

2)2022年に提訴された私自身が原告となる福岡地裁で継続中の当裁判

3)2022年12月提訴の大阪地裁における裁判     

4)2023年5月に提訴された東京地裁における裁判

先発の東京における裁判については東京地裁、高裁の判決がすでに出されており、いずれも判決は原告側敗訴という結果となっていますが、現在までにすでに最高裁に上告済となっています。しかし、注目されるべきはこれらの判決について論評する憲法学者等学者・専門家による批判および評論はすでに多数(実際の数・・数十?)公開されていますが、被告側(現行国籍法11条1項を国会が有する立法権限の範囲内であり合憲とする政府側の主張)を支持するものは皆無であり、全てが原告側の国籍法11条1項は憲法違反または憲法違反の疑いが大であり改正または廃止されるべきであるという主張を支持するものばかりです。

 これらの裁判の開始、進行のプロセスの中で、当事者である私たちは、これらの裁判で問題にされている争点についての広報活動の広がりとそれらに対する反応、世論の変化などを明らかに感じています。5月には上記2)と4)の裁判における弁護活動をサポートするためのCloud FundingもCall4という組織により開始され短期間に良い反応を得て寄付金額、寄付者数共に順調に増えています。 

 今日この場で原告としてお話したいことは、当訴訟において争点となっている国籍法11条1項の条項の合憲性について議論を繰り返すのではなく、法律論のみでは十分に論じることができない、当条項の実施の問題点、矛盾する点、法律を論じる時に裁判所も一般国民・市民も考慮すべきと私が考える点について述べてみたいと思います。当裁判は条文の合憲性を争点としているのであり、法律論争を行えば十分であるとする考え方には到底同意できません。法律論を争えば十分という考え方は、その条文の実施によりどのような苦しみや実害をその条文が適用される対象となる人々にもたらしているのかということを一切考慮する必要がないというような考え方に基づくものであり誤っていると思います。これまで裁判の過程の中で明らかにしてきたように、国籍法11条1項は、いわば「絵に描いた餅」的な法律であり、自己の志望により他国の国籍を取得した日本国民は日本国籍を喪失すると書かれていて、日本国政府は、例えば他国に帰化してその国の国籍を取得したときは即時日本国籍を喪失すると解釈していますが、法の条文が存在することにより自動的に他国に帰化した日本国民を把握することも実質的に日本国籍を喪失させるための戸籍の抹消までの一連の行政手続きを実施する方法は存在しません。法律の条文の「他国に帰化した時点で即時および国籍を喪失させる」という解釈にもかかわらず、日本国政府はそれを具体的に実現するための手段を有さず、強制的に国籍を喪失させた対象の「元日本国民・現在は外国国籍者」の協力を得ない限り国籍喪失手続きができないのが実情です。このような実情から、政府としてはこの国籍喪失手続きを実施するために、外国においては戸籍法による国籍喪失届の提出義務がないにもかかわらず同届をあらゆる可能な手段を使って集めようとしているように思われます。その過程で多くの過剰な問題行動などが見られ、在外日本国民に不必要な苦痛を与え続けていることも次第に明らかになってきております。国籍法11条1項の存在意義として政府側は単一国籍を理想とする国是を理由に挙げていますが、そのような存在意義をはるかに超えて海外在住および日本国内に居住する日本国民および元日本国籍者であり現在は外国籍者と定義される人々に多大な苦痛と権利の侵害をもたらしているのが現状です。

  • 国籍法11条1項の廃止または改正

上記のような国籍法11条1項の無理な実施(日本国籍の剥奪)による人々への権利の侵害や苦痛をなくすためには、単純に同法を改正または廃止すればよいのであり、それは簡単にできます。

国籍法11条1項は、単純にこれを廃止し、国籍法14条による国籍選択制度を従来国籍法11条1項が適用されてきた者たちに敷衍させることにより簡単に問題を解決できます。この裁判の中で原告側が主張してきたように、政府側が具体性をもって有効に証明することができなかった「複数国籍の弊害」が実質的に存在しない現状において14条により他のカテゴリーの複数国籍者(出生による重国籍者など)に適用されるのと同様に今日までの11条1項適用者に敷衍させる、つまり他国の国籍を自己の志望により取得してから一定期間内に国籍選択を行わせると宣言すればよいだけです。

4.原告として当裁判に関わった経験から私自身が感じていること

 日本においても、米国においても裁判の原告となったのは今回が初めての経験です。一方米国では25年余り弁護士として裁判に関わってきましたが、本日「最終陳述?」という形で裁判官から発言する機会をいただき感謝しておりますが、一方では米国では陪審員裁判を基本とし、陪審員裁判を望まない時には特にその旨「陪審裁判を求める権利を放棄する」と正式な裁判所手続きを経て明確に意思表示する必要があります。国民・市民の権利として同朋である地域の共同体のメンバーたちの判断を仰ぐ陪審員裁判を原則としている裁判制度であるため、民事訴訟においても刑事訴訟においても、原告、被告共に陪審員たちの前で自らの主張を証言し証拠を提示する権利が保障されており、最終的に裁判官による判決は、これらの証拠提示と証言を陪審員たちが見たり聞いたりした後に「評決」という形でくだされた判断を基本的には裁判官が追認するという形で「判決」がくだされます。私の個人的な経験からも数十の判決を見聞しましたが、陪審員による評決が裁判官により覆されるというような例はほとんど見たことがありません。当裁判において今回の私の「最終陳述・証言」が当然の権利ではなく、裁判官が許可して初めて機会を与えられるというシステムについて弁護団から説明を受けた時、大変驚き、日米の裁判のシステムが基本的に大きく異なることに気づきました。米国での裁判であれば、原告としての私の主張は、同朋である陪審員たちにできるだけ理解してもらい支持してもらえるように証言として行われるのですが、本日ここで私が原告としての主張を理解して支持してもらうために訴える対象者は裁判官のみです。正直なところ大きな相違点、違和感を感じています。裁判の当事者たちは、日本においては、限定的な参加の制度である裁判員制度は存在していますが、それは刑事事件にのみ適用され、直接的に希望すれば全ての民事・刑事裁判において社会、国民、共同体のメンバーである同朋たちに判断を仰ぐというシステムではなく、社会、国民を代表する裁判官に判断を仰ぐことのみが可能であります。このことを理解した上で日米を比較すると、日本において裁判により社会のシステムや法律を変えて行くことがより困難であろうという印象を持つに至りました。今回私が結審の前に機会をいただき発言できることに感謝しておりますし、ここで私が発言する内容は、裁判官という国民の代表である方々を通して日本の社会・国民に訴えたかったことを述べているとご理解いただければ幸いです。

 このような日米の差異を実感することができたのも、私が日米両国にこれまでの生涯の約半分づつ暮らし、米国で弁護士として裁判に関わった経験があったからと考えますと、私だけでなく多くの海外在留日本人たちの蓄積された経験や多様な視点はそれなりに重要であり、日本で育ち日本を知る者たちが日本を外から見る目を持つに至り、日本に帰国すれば複眼的に日本の社会を見ることができる人たちが多数日本の中に存在するということに繋がり、日本の現状と将来を考える中で、現存の社会的慣習や法律などを客観的かつ世界の他の諸国と比較することができる能力を日本社会に追加することができるのではないでしょうか。最近私は日本が「没落途上国」と呼ばれているということを聞き、驚くと同時に悲しくも思いました。少子高齢化による将来の急激な人口減少の問題を抱え、私たちの孫や子供たちが生きる将来の日本を準備し計画するためには、できるだけ多様な、国内事情や問題点、社会の実情に合わなくなった後進的な社会制度や法律に批判的な観点を持ち議論し、新たに有効なシステムを導くことができるような多様な人材を投入する必要があることは明らかです。そのような時代の要請にもかかわらず、法律が定めているからという理由で、多くの多様かつ複眼的能力を持つ日本人を他国の国籍を取得したからという理由から簡単かつ強制的に外国人として日本国籍を喪失させ棄民することが日本の将来にとって賢明な制度なのでしょうか。もう一度、広い観点から熟考する必要があるのではないでしょうか。現状に合わなくなったシステムとみなされれば国籍法11条1項も改正または廃止すべきです。

5.日本人とは何か?なぜ国籍法11条1項は廃止または改正されるべきか?歴史的・大局的観点から

 

歴史的に「日本人」と「日本という国」の成り立ちを考えるという作業は、今日の国籍法、そして将来の日本を見据えた国籍法を考え提案する(必要であれば法改正も含め)ために必須の過程です。私は現在2000-1500年前の時代に当時はまだ日本という国は存在していなかったにもかかわらず、現在の中国大陸と朝鮮半島の諸国との「国際交流」を積極的かつ行動的に行っていた伊都王国の中心地であった糸島市に住み、この地域の歴史を学びつつあります。そのような学びの中で、少なくとも当時北九州地域に住んでいた人々は朝鮮半島から、また現在の揚子江以南地域から稲作や独自の文化を携えてきた人々そして、現地に日本の縄文人として住み続けてきた人々が混在して相互に影響しつつ、また混血してこの地に独自の文化や政治形態を生み出してきたことが考古学的遺跡などからの出土物を観察すると明らかです。私が暮らしている住所から自転車で15分位のところに位置する伊都王国の首都であった場所の様子は「魏志倭人伝」にも記述されています。その後古代の日本国誕生の過程を振り返っても、常に海を越えた他地域との頻繁な交流と学び合いを経て、独自の政治体制や「日本人」を形成していったことは明らかです。つまり、当時の北九州地域の人々、その他の日本の各地において「日本人」は海外からの訪問者・移住者・帰国者がダイナミックに交流し、混血し、農業技術や冶金などを学び合ってその後の日本人と日本国を作り上げてきたのです。今から1500年前までにはすでに「帰化人」という概念も政治的カテゴリーも出来上がっていたようです。

 その後の日本の歴史を見ても、このような海外との交流・学び合いは継続し、徳川の鎖国時代にも中国大陸や朝鮮半島との交流は途絶えたことはありませんでした。そして明治維新によりそのような交流が広くアジアのみでなく西洋諸国(先進国)に拡大し、人々の文化の交流、政治制度の学び合いという形で日本の新たな政治体制と文化を形成しました。最近の2000年くらいを振り返っただけでもこのような「海外との交流」を視野にいれずに日本という国、日本人という人々の形成や発展を考えることも語ることもできません。

 私は現在76歳という年齢に達し、「後期高齢者」というとても奇妙なしかしもっともらしいカテゴリーに分類されていますが、生涯の半分以上を主として米国ですが海外に暮らしてきました。私が初めて渡米した1971年という時代を考えると、日本人が海外に出て働いたり、留学したりする数がそれまでと比較すると大きく増大した時であったということが言えます。それまでの2000年を考えると、北九州地域を考えただけでも「海の民」たちはいわゆる縄文時代にもすでに原始的な船に乗り優れた航海術を駆使して朝鮮半島・中国本土などと相互に行き来していた考古学的証拠が残されているということです。その後、明治時代からは南米、中米、北米、ハワイなどへの日本人移民が多く海を渡ったという歴史的事実もありますが、おそらく1970年代に入ってからの日本人による海外進出の規模はそれ以前と比較すると格段に増大しました。そのような人々の移動の拡大の結果、それ以前の日本人移民の動きとは異なる長期滞在型、永住型、さらに長期滞在の後日本に帰国する者たちの数も莫大な数となりました。それ以前の「移民」と比較すると、国籍法11条1項の適用・実施により新たな苦しみや困難に直面する人々の数も大きく増加しました。現在はそのような過渡期にあるように思われます。このような日本という国の歴史を振り返ると、多様性、海外諸国との交流が欠くことができない重要な要素であったことは明らかであり、今後の日本が衰退の道ではなく繁栄の道を選択できるような社会を形成するためには、日本から海外への国民の流れまた反対に海外から日本への人の流れ(この中には外国に帰化してその国の国籍を取得したが日本に帰国する人々も含まれる)を罰する方向ではなく奨励する方向性をもつ国籍法が望ましいと思います。少なくとも海外で多様な経験を積み、複眼的思考ができ、日本を外からも客観的・批判的に見ることができる人々を切り捨てるような国籍法は改正または廃止すべきです。

6.一時的または永住帰国を望む人々からの相談

現在でも私の元には週に最低2,3通のメールによる相談が寄せられてきます。国籍法11条1項を違憲と主張する裁判がすでに4つ提訴され、政府側が十分に国籍法11条1項の内容つまり、自己の志望により他国の国籍を取得した(帰化などにより)日本国民は日本国籍を喪失するという条文については十分に周知しているという主張しているにもかかわらず、相談を寄せる方たちの60-70パーセント位が「他国に帰化した二重国籍者ですが」という前置きと共に相談をしてきます。「国籍法11条1項の条文によれば、あなたは帰化した時点で日本国籍を喪失していることになっているので、二重国籍者ではありません」と説明すると、「えっ」と驚き、その次にはショックを受け、憂鬱が襲ってくるというのは典型的な相談者の反応です。つまり、日本国政府の周知努力は十分に行ってきたというその主張にもかかわらず、極めて不十分であるといわざるを得ません。相談の多くがどのようにしてこの「二重国籍または複数国籍」状態を維持できるかというものであり、また「長期にわたり外国に滞在し、リタイアしたので日本に帰国して日本で余生を送りたい」という希望とともに、具体的にはどのようにして日本での生活基盤を築くかという相談ごとが増えています。年金の問題、健康保険の問題、納税、マイナンバーカードの取得などなど、極めて基本的かつ具体的な相談が増えています。これらの相談者の中には、他国に帰化したという方々も多く存在します。これらの人々の「自分の生まれ故郷に戻り、そこで生涯を終えたい」という望む心は、世界人権宣言第13条2が宣言する、「すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、および自国に帰る権利を有する」という万人に与えられた権利によって日本に戻る権利が保障されるべきです。この日本人として自国に帰る権利を有するということの意味は、他国に帰化したから日本国籍を喪失しており日本への帰国は保障されないない。。。というような国籍法11条1項の規定により簡単に否定されるような軽い権利ではなく、私たちのような生涯の半分以上を海外に暮らした日本人たちでも、最終的に日本に帰国したいという希望があれば、それを否定されてはならないということを意味しています。私たちが日本を自分の故郷と考え帰国したいと思う心は、すでにおそらく2000年前にはすでに私たちの祖先が後の日本と呼ばれる地に暮らし、明治時代になって成立した日本国という国民国家よりずっと以前から生きてきて代々の子孫を経て現在の私たち日本人を生み出したのだという歴史から切り離して考えることはできないのです。昔まだ私の父が生存していた時に、約1000年分を含む家系図というものを見せてもらった記憶があります。男尊女卑の時代のものですから、女性は「女」としか書かれていませんでしたが、男性は姓名が書かれていました。そのような祖先からの継続する暮らしと生命や文化の伝承は、明治時代に作られ、後に数回改正された国籍法という歴史の浅い、しかも世界の新しい趨勢に追いつくことができずにいる後進的な国籍法により、簡単に否定されるべきものではありません。私たちの祖先は2000年前という比較的新しい時代より前の石器時代、縄文・弥生時代にすでに後の日本国・日本人となる人々・地域として存在しており、それらの脈々と連なる命と暮らしの継続・積み重ねが現在の私たちを形成してきたということを基本において考えると、簡単に「帰国する権利」を奪われるような存在ではないことを再確認します。ある意味では私たち日本人は「日本という地の原住民」であるということができるのではないでしょうか。南北米大陸に存在する先住民であるアメリカインディアンの人々同様に私たちも先祖代々が暮らしてきた日本という地に生存し、そこから移住しても、戻りたければ「帰国する」権利と自由が世界人権宣言が宣言するとおり保障されるべきです。