インタビュー


 今回は、先回の予告とおりに実際にカリフォルニア州とアリゾナ州でご両親のお世話をするという経験のある水津懐美(すいずかねみ)さんに登場していただきました。水津さんは、住宅用および商業施設用キャビネットのデザインの仕事をしています。以下は水津さんのインタビューをまとめたものです。

Q:米国にご両親が移住されてきたのはいつでしたか?
A:1996 年でした。私自身は仕事の都合で日本からカリフォルニア州に1987年に移住しました。その際にグリーンカードを取得し、後に1995年位になって米国の市民権を取得しました。その後両親を呼び寄せることになり、1996年に両親がグリーンカードを取得してカリフォルニア州南部で共に生活することになりました。
Q:その後お母様が発病なさったのでしたね。いつ具合が悪くなられたのですか?
A:2000年位でした。少しづつ認知症的な症状が出てきました。いわゆるボケが始まったわけですが、その頃にカリフォルニア州のオレンジ郡に住んでいて母も友達も出来ていて楽しく生活していたのですが、私の仕事の都合でサンフランシスコ地域に引越しました。知らないところに引っ越したことが結果的に今振り返ると母の症状を悪化させる原因となったと思います。慣れた環境にそのままいたら、病気の進行がもう少し緩慢であったかもしれません。
Q:どんな症状だったのですか?
A:次第に声が小さくなり、周囲の者には母が何を言っているのか理解することが難しくなり、だんだん意志の伝達が難しくなりました。体を動かすことも少なくなり、人ともあまり話しをしなくなったので、血行が悪くなり、鬱病の症状も現れ、じーと何もしないで座っていることが多くなりました。私も仕事をしていたのでずっと傍にいることができず、困りました。最初は、自分の力で何とかしようと、相当に症状が進んでからも自宅で世話しようとしましたが、昼間も収拾がつかない状態になり、誰かが24時間傍にいて世話をしなくてはならなくなりました。つらかったのは、夜寝ないことです。私は昼間仕事をしているので、夜寝ないと困るわけですが、母は寝付かれず、私や父を起こして一晩中いろいろと話かけてきました。話す内容は、妄想的なことが多かったです。私としては昼も夜も寝ることができず、仕事は続けなくてはならないという状態が続き、必死で母を預かってくれる施設を探しました。認知症、アルツハイマー病の人たちを預かる施設を数多くあたってみましたが、「英語が話せない」という理由で断られたところが多かったのには辟易しました。「入所している患者のほとんどが話なんてまともにできないのに、英語が話せないとだめ」というのはどういうことか、と腹が立ったこともありました。幸、カリフォルニア州認可の日本人専用の施設があったので、そこにも入所の申し込みをしましたが空きがなく入所できませんでした。しかし、私の窮状を見かねてその施設の人たちが、昼間のみ「デイケア」として母を預かってくれることになり、大変助かりました。
Q:その時の費用は、どのくらいかかりましたか?
A:私立の施設だったので、デイケア料金を支払うことになりましたが、比較的低料金でした。カリフォルニア州にはMediCalというシステムがあり、母の場合、入所できるところがあれば医療費・入院費用は無料となるはずでした。入所の資格は米国市民であることを要求されず、グリーンカードの保持者ということでOKでした。
Q:お母様はその施設に通っているときに亡くなられたのですか?
A:いいえ。実はその後日本に戻り、日本で亡くなりました。カリフォルニア州の日本人専門施設のデイケアサービスを受けている最中も、日本にいる兄夫婦が日本で入所できる施設を探していました。その後兄の住所の近くに新しく施設ができ、入所者を募集しているということで、兄が早速申し込みをしてくれ、母は日本に戻ることになりました。デイケアで昼間看護してもらっていたとは言え、私が勤めから戻ると1晩中看護するという生活が続いていたので、私も父も限界に達していたので、少し楽になりました。
Q:お母様はその施設にどの位の期間入所されていたのですか?
A:母は、その施設にやっと入所できたと思ったら、「症状が重すぎる、ここでは介護できない」と言われ、その施設を出なければならなくなり、最終的には精神病ではなかったのですが、ある精神病院に入院することになり、そこで肺炎を移され亡くなりました。死因は肺炎でした。可哀そうだったと思います。2005年の9月に兄が迎えに来て日本に連れ帰り、亡くなったのは2006年の7月のことでした。
Q:その後お父様が発病されたのですか?
A:母が亡くなり、父と私はお葬式に参列するために日本に戻りました。私の仕事の都合で、2005年の12月にアリゾナ州に引っ越して来ていましたが、父は母が亡くなってから、目に見えて弱ってきました。ある日道で転んだ後は一挙に症状が悪化し、お葬式から戻って2、3ヶ月後には食物が摂取できなくなり救急病院に入院することになりました。もっとも大きな症状としては尿毒症でした。意識の混濁も起こり、そのためと思いますが、精神的機能の衰えも見えました。
Q:入院の際の費用はどうなさいましたか?保険に加入していましたか?
A:アリゾナ州の低所得者用の医療扶助(Arizona Health Care Cost Containment System: AHCCCS)を受けました。
Q:そのような医療扶助は資格を認定されるのが大変ではなかったですか?
A:とても大変でした。私一人では到底できなかったでしょう。まず、資格の認定のためには、私ではなく父本人の収入、資産状況を調べ、一定の基準より下でなければなりません。幸いと言っては変ですが、父は何も資産がなく収入も極めて低かったので、一応適用が考慮されることになりました。
Q:あなたの収入や資産の状況は全く調べないのですか?
A:いいえ。全く調べませんでした。父個人としての認定でした。
Q:日本だと親子であれば「扶養義務」が法律に規定されていると思います。当然、同居している子供の経済状況は考慮の対象になりますね。米国は「個人単位」というのが徹底しているのですね。
A:はい、そうです。でも、資格はあるはずでも実際に認定を受けて医療扶助を受けることは難しいのですよ。当局としては、できるだけ有資格者の数を増やしたくないので、いろいろ条件を付けてくるし、それをクリアするのは素人にはとても難しいのです。電話連絡なども何回電話しても返事が来ないとか。普通の人は諦めてしまうかもしれません。私の場合には、近所に看護婦(Registered Nurse)さんの仕事をしているバーバラさんが住んでいて、親身になって助けてくれたので、父は認定してもらうことができました。電話で相手にしてくれないと、バーバラさんが何回も何回も福祉事務所に電話し、「だめ」と拒否されてもプロとしての知識を動員していろいろ反論し、やっと認定されました。私一人だったら、英語力の問題もあるし、途中で諦めていたでしょう。認定のためには、父ばかりか娘である私も当局のインタビューを受けました。本人は英語が話せないので、私がインタビューの際の通訳も務めました。
Q:大変でしたね。でも救急病棟にはずっと入院できませんよね。その後はどこで治療を受けたのですか?
A:救急病棟で治療を受けた際の病名は、尿毒症でしたが、認知症の症状も出ていました。それで、救急病棟の看護婦さんなどが、ホスピスを勧めてくれました。
Q:ホスピスと言うとどういう状態の人が入るのですか?
A:元来は末期ガンなどであと数ヶ月の余命というような人が余生を送るためのものでしたが、最近は不治の病であり死期が近いことが分かれば入所できます。その時、父は命が危ない状態でした。死期が近ければ入所できるというのは理屈で、実際に入所するのはこれもまた大変難しく、バーバラさんの活躍でやっと入所できました。ホスピスから派遣されるソーシャルワーカーの人が父と私をインタビューしに来ました。このホスピスは州の認可を受けており、財政的な支援も受けていたので、このソーシャルワーカーのインタビューより前に州の福祉局の人からも調査が入りました。州の福祉局とすれば、あまり多くの人を有資格者として認定すると財政的な負担も大となるため、私の印象ではできるだけ認定したくないというような態度が見えたように思います。看護婦であるバーバラさんはこの辺の事情に詳しく、粘り強く当局と交渉してくれ、最終的に認定をもらうことができました。多くの場合、入所すると、病人はこのホスピスで死を迎えることになるのですが、予期に反して病人が回復したりすれば、長期滞在は許されないので退所することになります。つまり、元気になれば追い出されるという仕組みになっています。
Q:お父様の場合もある程度回復されて退所されたのでしたね。
A:はいそうです。
Q:ホスピスを退所してどこに行かれたのですか?
A:ホスピスの看護婦さんなどからRESTPICEに入所するように勧められました。この施設は、死期は近くないが、アルツハイマー病の患者などで極めて重症であるために家族が自力で看護できない場合に利用できる施設です。でも、フルタイムではなく、毎月5日間程度預かってくれるのです。
Q:それでは、患者さんが24時間看護を必要とする場合、家族は仕事もできませんね?
A:そうです。それで、アリゾナ州の長期ケア制度(Arizona Long-Term Care System: ALTCS)の認定を受けるように言われました。(注1)またまたバーバラさんが登場して交渉を一手に引き受け、認定を受けることができました。ホスピスの人たちも協力してくれました。父は現在、フェニックス市にある長期ケア施設に入所しています。ここには医者と看護婦が常駐しており、自分でケアができないばかりでなく、両者の治療や看護を常時必要とする患者のみが入所できることになっています。この施設には、いろいろな経済的状況の人たちが入所しているので、父のように無料で入所している者もあり、月に$4,800費用を支払っている患者さんも入所しています。能力に応じて支払いをする仕組みになっています。
Q:いろいろな意味で運が良かったと言えますね。
A:はい。よく人に言われますし、自分でもそう思うのですが、アリゾナ州に来てよかったと思います。カリフォルニア州には、さきほど言いましたようにMediCalというシステムがあるのですが、実際に調べてみると、特にサンフランシスコ・ベイエリアなどでは、制度はあっても、実際にこの制度の中で医療を提供してくれる医師や施設が皆無というような状況でした。電話で問い合わせをしても返事も来ないというようなことがたくさんありました。医者自体がMediCalのシステムの中で医療を提供することを止めてしまっている場合も多かったようです。
Q:制度が「絵に描いた餅」になっているのですね。
A:はいそうです。父がカリフォルニアで病気になっていたら、施設にも入れなかったと思います。南カリフォルニアではMediCalの制度の中で医療を提供する医師や施設もまだ存在していたのですが、競争が激しく、ナーシングホームへの入所などは待てど暮らせど不可能というような状況だったでしょう。
Q:なぜアリゾナの方が医療扶助を受けたり、特別なナーシングホームへの入所がしやすかったのでしょうか?
A:アリゾナは人口がまだ比較的少ないということも一因かもしれませんね。結果として分かったことですが、アリゾナに引っ越してきて良かったです。
Q:お父様の具合は最近いかがですか?
A:大分調子がよく、時々、お寿司を食べに連れ出したりしています。
Q:そんなときはどのようなお話をしますか?
A:何だかあんまり会話にならないのですが、とにかくお寿司は美味しそうに食べてくれます。
Q:ご両親のお世話で本当に大変な数年間でしたね。
A:はい、一挙に年を取った感じです。
Q:貴重な体験を読者の皆様に分かち合ってくださり、ありがとうございます。きっと大いに参考になったことと思います。私のところにも、最近家族がアルツハイマー症の初期であるが今後どうしたらよいか、アルツハイマー症の親をアリゾナに連れて来たいがどのような問題があるかなどとの問い合わせが増えました。みないつ自分の周囲でこのような問題が起こるか予測できず、他人ごとでは済まされませんね。あなたの貴重な体験から、何か読者の方に伝えるとしたらどんなことでしょうか?
A:自分が高齢になる準備としても、また高齢な親などをケアする場合にしても、やはりアクティブであるということが大切だと思います。母は、精神的機能が衰えるとともに声が小さくなり、何を言っているのか周囲の者に理解できなくなりました。大きな声で歌を歌ったり、人と話したり、コミュニケーションすることが大切だと思います。
Q:そうですね。1日5人の人と会話をするようにと書かれているのを本で読んだこともあります。
A:父も今の施設で可愛がってもらっているようです。私が「オヤジ」と呼ぶので、その音を聞いてケアする人たちが父のことを「Wedge」と呼び、名札も作ってよく話しかけてくれます。
Q:他には何か患者を抱えた周囲の人たちに言うことはありますか?
A:そうですね。自分のことを振り返って見ると、母や父がおかしくなってきたときも「そんなはずはない」と否定する傾向がありましたね。いわゆる「まだらボケ」の状態を見て、正常な部分に焦点を当て「まだまだおかしくない」と否定してしまい、大分症状が重くなり、誰にも否定できなくなるまで必要な手段、準備をしなかったように思います。施設に入所してもらうということも、「施設に入れるなんて可哀そう」と考え、自分でできる限界を超えるところまでやり、共倒れになりそうになるまで、助けを求めないという傾向もあったかもしれません。アルツハイマー病などは、少しづつ症状が現れるので、否定するということをせず、初期段階から将来どのような状況に本人および家族が置かれるのかということをよく考え、早いうちから準備をしておくことが大切だと思います。私も、自分の力で面倒を見ようと頑張り過ぎ、友人たちに「もう無理だよ」と言われるまで、自宅で自分の力で看護しようと努力を続けてしまいました。疲れ果て、仕事も家事もできなくなり、患者の面倒も中途半端という限界まで行ってしまいました。自分で体力的にも精神的にもボロボロになってしまいました。だから、私と同じような状況になりそうな兆しが見えたら、早い段階で可能なオプションをできるだけ数多く見つけておき、状況に応じて選べるようにしておくことが大切でしょう。
今になると、両親に対して、もっとマッサージをしてあげるとか、手を揉むとかいわゆるスキンシップを多くしてあげれば良かったな、と思っています。母の看病の経験からすると、欝の状態になったときも、お風呂に入れてあげると血行が良くなり、症状が好転したことを思い出します。
Q:本日は、貴重な体験を読者の方に語っていただき、ありがとうございました。
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注1:ALTCSは65歳以上の高齢者を対象としており、ナーシングホームなどに入所中または自宅で療養中のどちらでも支援の対象になります。収入の上限を月収$1,869と定めています。資産は現金、銀行預金、株式、債券など合わせて一人につき$2,000までが上限とされていますが、配偶者が同じコミュニティーに住んでいる場合は、当人と配偶者が夫婦として共同で所有する資産の半分、上限として$101,640まで保持できます。この他、自宅、車、葬式費用などはこの資産上限額から除外されます。(出所:アリゾナ州AHCCS関連Websiteから)
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今回は水津さんから貴重な体験を語っていただきましたが、具体的な質問を抱えた読者の方もいらっしゃることと思います。近いうちにこのインタビューに名前が出てきた看護部のバーバラさんや水津さん、他にアルツハイマーの患者さんのお世話をする仕事をしておられる方など経験と知識が豊富な方々を招待し、勉強会を催すことを計画しています。質問などございましたら、電子メールでお寄せください。