日本に帰国しての老後?


今回は、先回に続き、「おひとり様の老後」「お二人様の老後」に変えて日本で過ごすことを希望する場合の、落とし穴について考えてみましょう。

先回のお話では、初期のアルツハイマー病の症状を持つ方で特殊な事情から身分証明書、パスポートその他を奪われ、大変な状況に陥った場合のお話をしました。その方の例ですが、ソーシャルセキュリティ番号などの重要な情報を忘れてしまった上、全ての証明書や情報を奪われたままの状況だったため、日本に戻ろうとした時点で難問にぶつかりました。

まず、ソーシャルセキュリティ番号については、幸いご本人が夫のソーシャルセキュリティ番号を記憶していたため(自分の普段の生活では自分自身のソーシャルセキュリティ番号を使用することはほとんどなく、夫のソーシャルセキュリティ番号ばかり使用していたので、そちらの方を記憶していました)、ソーシャルセキュリティ・オフィスに出向いて自分の番号を教えてもらうことができました。これでやっと人としてのIDがひとつ回復されたことになりました。ソーシャルセキュリティ番号が判明したことにより、メディケア・カードを再発行してもらうこともできました。これをきっかけに軍の退役軍人の寡婦としてのIDを再発行してもらうことも可能となり、ソーシャルセキュリティ遺族年金ばかりでなく軍人遺族年金の給付も受ける手続きをすることができました。

さて、日本に緊急に帰国しようと、ご本人の世話をしていた妹さんがLAの領事館に問い合わせたところ、戸籍謄本を取り寄せれば、パスポートまたは緊急帰国用渡航書を発行してもらえる可能性があるという返事をもらい、緊急(と言っても申請から手元に届くには2週間かかりました)にご本人の戸籍謄本を取り寄せました。ところが戸籍謄本が到着した時点でそのコピーをPDFにして領事館員にメール送信した上で再度依頼すると、「ご本人の米国における滞在許可(グリーンカードその他VISA)かまたは市民権を取得していないという証明」を提示しない限りパスポートも緊急の帰国のための渡航書も出せない」という回答になってしまいました。

そもそもなぜこんな状況に陥ってしまったかというと、ご本人はパスポートなど一切の重要書類を奪われたままだったので周囲の者たちもパスポートが米国のパスポートであったのか日本のパスポートであったのか確認ができず、ご本人も記憶が定かでなかったためでした。つまり、米国市民権を取得したか否かご本人が記憶していませんでした。

厳密に法律を適用すれば、「自らの意志で米国市民権を取得した、つまり日本国籍を喪失した人間に日本のパスポートも渡航書も発行できない」とする領事館側の回答は正しい解答です。ご存知のとおり、日本の国籍法は、他国の国籍を自己の意志で取得した者はその時点で日本の国籍を喪失するとしています(国籍法第11条:「日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」)。そしてこれまたご存知のとおり、多くの日本人が自己の意志で他の国籍を取得した後も、「国籍喪失届け」なるものを提出しないままにするために(提出する者の割合は1割位という推定値もある)、日本の戸籍はそのまま除籍されないままに残り、日本に帰国した際に日本のパスポートを申請し取得することができるというのが現状です。日本国内外においては、ある人間が日本国民であることを示す基本的根拠は「戸籍謄本」であるわけで、戸籍謄本が存在する者は、いつ日本に帰国しても戸籍謄本を元に「海外から帰国した者」として住民登録を行い、日本国民として日本国内に居住することができるのです。国籍法による「日本国籍喪失」と戸籍の除籍という日本国民であるという根拠(証拠)の喪失との間には当事者が意図的に「国籍喪失届け」なる書類を日本国当局に提出するという手続きが存在するわけで、この手続きは本人が積極的に行動を起こし実際に提出しなければ手続きとして完了しないわけです。その結果、数十万または百万の単位の者が事実上の二重国籍状態におかれています。

以上のような状況から、今回の領事館側の回答は法律を厳密に適用すると適正な回答となりますが、同時にそのような法律が厳格に平等かつ漏れなく全ての「適用対象者」に対して適用されているかというと、回答は否となります。本人の届け出を原則としている、そして他国の国籍を取得したか否かは、特定の少数の国を除いては報告システムがないため、日本国政府当局によっても把握不可能であるため、現実的には普遍的適用は不可能といってよいでしょう。

今回ご本人が遭遇した状況は、大変厳しいものでした。ご本人が事前に自分のパスポート(米国のものであれ、日本のものであれ)のコピーを日本にいる家族などに渡してあれば、簡単に上記の質問・疑問に対する回答は得られたはずです。しかし、ご本人が記憶が定かでなく、しかも全ての重要書類を奪われた状況の中で、米国市民権を取得していたかいなかったかを問い合わせるという行為そのものも大変困難になります。領事館からの回答の後、ご本人は周囲の助けを得て、USCIS(米国移民局)にご本人が米国帰化証明書を発行されたことがあるかという問い合わせから始めなければなりませんでした。そして、その証明を得るために書き込みを要求されていたいくつかの年月日(最初に米国に入国した年月日など、50年以上も前の日付など)を記入できないまま申請書を提出せざるを得なかったため、証明書を発行してもらえるのかその可能性も明らかではありませんでした。その回答は20日以内になされるという規則ではあるようですが、日本からの戸籍の到着を待ち、ソーシャルセキュリティ番号を確認、軍人遺族年金の取得手続きと、唯一記憶していた夫のソーシャルセキュリティ番号から一つ一つ回復して行く手続きに数週間を費やしてからのこと、ご本人とそのお世話をする妹さんは次第に疲労困憊して行きました。

最終的には、お二人の決断でLAに行き、なんとか領事館で交渉した結果、緊急帰国用渡航書を発行してもらうことができ、二人揃って日本に帰国できました。ここに至るまでの苦労、努力、時間、エネルギー、金銭的負担は大変なものでした。

今回、パスポートや日本に帰国することに関して多くの人たちが共有できるレッスンがあるとすれば、日本のパスポートであれ、米国(他国)のパスポートであれ、パスポート番号や有効期間などの情報を常日頃から自分の居所に保存するのみでなく、日本にいる親戚などにデータとして保存してもらっておくということが重要だということです。そのような準備があれば、なんらかの理由で(紛失、消失、盗難、悪意により隠される、時によっては本人自身が記憶喪失するなど)情報を失ってしまった場合、少なくとも支援する周囲の者がそれらの情報を回復することが容易になります。今回の場合も、パスポート番号、有効期限などが分かっていれば、日本のパスポートであれ、米国のパスポートであれ、再発行してもらうことは比較的簡単だったはずです。「日本に緊急に帰国する」という目的のためには、ご本人にとって日本のパスポートでも米国のパスポートでもどちらでもよかったのです。日本に戻りさえすれば、戸籍が除籍となっていない以上、米国から帰国した日本人として住民登録し、日本で生活できるのですから。アリゾナにいたら施設に収容されてしまうという状況から、日本で妹と二人「お二人さまの老後」を送ることになんら問題は起らなかったはずです。