パトカーの容疑者追跡


皆さまも、時折新聞やテレビのニュースで銀行強盗や殺人事件などの容疑者を警察がパトカーなどでスピード追跡した際に、事件に全く関係のない一般の人が巻き込まれ、そのような追跡の途中でパトカーや容疑者の車に衝突されて死亡した。。。。というような事件の報道に接したことがあると思います。その度に、「何も罪のない人が死亡したなんて悲劇だ」、「犯人や容疑者を捕まえるのは大切かもしれないが、道路を通行している一般の人たちを危険に晒しても追跡する価値はあるのか」という疑問が湧くという経験をされた方も多いでしょう。

つい最近の例では、ナバホ居留区内のTuba City付近で警察に追跡されていた容疑者が猛スピードで逃亡中に道路の中央分離線を乗り越えて反対側の車線に入り、反対車線を通行中であった日本人家族が被害に遭遇し4人家族のうち3人が亡くなられたという事件があったことを記憶していらっしゃる方も多いことでしょう。

今回の事件(Margaret and Shuja Ahmad v. State of Arizona Department of Public Safety: CV2008-030707)では、陪審員裁判が行われ、陪審員が3000万ドルという賠償金額としては異例ともいえる評決を行い、裁判官も最終的判決としてその額を採用しました。

事件の概要は、アリゾナ州立大学の学生であったAlexander Ahmad氏(事件当時24歳)が、テンペ市内で強盗を働いた容疑で警察に追跡されていた容疑者Richard Schwartz運転の自動車が中央分離線を乗り越えて時速113マイルで反対車線に飛び出した際にAhmad氏の自動車に衝突し亡くなり、両親がアリゾナ州の Department Safetyおよびチャンドラー市などを訴えたというものでした。この訴訟は2008年に開始され、昨年2014年に第一審の判決が出たというものでした。関連の容疑者追跡については一端追跡を中止するように命令が出されたものの、後に追跡は再開され、その際にAhmad氏が亡くなる事故が起きました。原告側の主張は、一端出された追跡中止命令はその後も継続されるべきであった、追跡再開はされるべきではなかった、そしてこの再開された追跡は容疑者逮捕の価値を人命の重要性と比較した時に人命を軽んじたものであり、追跡は再開されるべきではなかったと主張しました。原告側はまた、警察は容疑者が持ち去った現金の袋には通信機が付けられていたので、無理に追跡を行わずとも容疑者の居場所を突き止めることは可能であったとも主張しました。被告側は州当局やチャンドラー市警察やその他の機関の追跡は適正であったし、また容疑者Schwartzは意図的にAhmad氏の乗っていた自動車に(自殺の可能性もあり)衝突したものであり、追跡中のチャンドラー市警察や州当局には落ち度はなかったと主張しました。

上記のような州当局側や市警察側の主張にもかかわらず、事件を担当した陪審員たちは、容疑者Schwartzの落ち度80%、チャンドラー氏(警察)の落ち度15%、アリゾナ州の落ち度5%という「落ち度の配分」を行い総額で3000万ドルの支払いを命ずる評決・判決となりました。一般市民の安全と犯人(容疑者)逮捕の価値を比較した場合に追跡当事者が頻繁に「犯人・容疑者逮捕の価値を過大評価して一般市民の安全をないがしろにしている」という一般市民の感情が陪審員の判断に反映されてこのような高額の賠償金評決になったのではないかと推定できます。(参照文献:Top Ten Civil Verdicts 2014: Arizona Attorney, June 2015)