ベトナムを訪ねて

今回は10日間という短い日程で訪ねたベトナムの印象を皆さまにお伝えしようと思います。

ベトナムというと、1975年に戦争が終わるまで「ベトナム戦争」との関係で語られることがほとんどでした。1971年に米国に来た当時はカリフォルニア大学バークレーキャンパスは反戦運動のメッカでした。ベークレーキャンパスなどと比較するとより保守的と言われたスタンフォード大学でも図書館は反戦運動の学生たちによって割られたガラス窓に大きな絆創膏が縦横に貼られていたのを記録しています。1975年に戦争が終わるといわゆる「ボートピープル(難民)」が小さな船の甲板一杯に乗った写真などが頻繁に報道されるようになりました。

その後はベトナム人たちが米国に移住してベトナム人コミュニティーができたり、ベトナム系米国人たちの活躍を耳にすることも多くなりました。1975年の戦争終結の直前に、深夜誰にも告げずにベトナムを後にしたという友人が可愛がっていた愛犬も連れてくることができずに親戚に預けたままになってしまったと言って30年以上前のことを思い出し涙を流す場面にも出会いました。

私の中では、そのような断片的な知識となってしまったベトナムへ今回偶然出かけることになったのです。「戦争後」のベトナムがどんな風になっているのかまったく見当もつかず何を期待してよいのか事前の下調べもなく単純に「観光客」として出かけたのです。これもまた断片的に、平均的年収が一人当たり1000米ドルほどであるということも聞いていました。そして最近では中国の労働費が高騰してきたのでベトナムに工場を移転する製造会社が増えたというようなニュースも耳にしてきました。

今回訪ねたのは、主としてハノイ市内、サパ(Sapa)という少数民族が多く居住する山岳地帯、奇妙な姿の岩山(島)が散在するハロン湾などでした。サパでは山々のほとんど頂上までに至る棚田や道路脇の崖の上までに植えられているトウモロコシの苗を見て自然の条件を最大限生かして自給自足の生活をする人々(主としてモン族の人々)に驚いたのはもちろんですが、何と言っても一番印象深かったのは、町でも山岳地帯でも人口の65パーセントを占めるといわれる若者たち(8000万人くらいいる人口の役65パーセントが30歳以下)の醸し出す躍動感と元気でした。どこでも人々の主な交通手段はモーターバイクやスクーター(HONDAブランドが圧倒的)で、家族5人乗りなどというのは朝飯前、時には後ろに乗った母親がモーターバイクの上で揺られながら赤ん坊に乳を飲ませているシーンにも出くわし仰天しました。

ハノイのような大都市でも、大きな商店、デパート、スーパーなどもまだあまりなく、とおりにはあらゆるものを売る人々が露天商として並んでいます。歩道も小さなビニール製の椅子を並べたレストランになり、昼食時、夜などはくつろいで食事をする人々で町は活気溢れています。

このような雰囲気と「元気」な様子を体現するイベントは、ホーチミン(Uncle Hoと親しみを込めて呼ばれている)廟での土曜日の夜の様子でした。ホーチミン廟にはホーチミン氏の遺体が収められており、多くの市民が連日お参りをしていますが、土曜日の夜は特に多くの市民が廟の前の広場に集まってきます。これはお参りとは関係なく、遊びのためです。数千人の人が国旗を降ろす儀式の前後に広場に集まり夕涼み、散歩などを楽しんでいるのですが、それらの人々の多くがヨチヨチ歩きの赤ちゃん、やっと歩けるようになったり、走れるようになった子供たちを連れているのです。こんなに多くの赤ん坊連れの親子たちが一緒にリラックスして遊んでいる様子を見たのは生まれて初めてです。よく見ると、赤ん坊たちの親たちも、やっと二十代になったばかりと思われる人々が大多数でした。

子供たちは、親の手を離れて、のびのびと歩き回ったり走り回ったりしています。とても不思議だったのはコンクリートの広場の地面に転んでしまう子供たちもいるのですが、誰一人泣かないし、ぐずりません。数千人の赤ん坊が同時にいる場所で、鳴き声が聞こえないことは驚異的なことでした。親も1歳半や2歳、3歳の子供が転んでも放っておきます。すると、子供たちは一人でまた立ち上がり、ニコニコ笑って一人で歩き出します。何とも驚きであり、快い体験でした。子供たち同士がぶつかったり、即席遊び友達になるのですが、いじめたり争ったりする子供たちには出会いませんでした。

ふと「この親たちは、こんなにリラックスして、どんどん子供を生み育てているということは収入は少なくても「貧しい」という実感はないのでしょう。(ハノイでモーターバイクを乗り回している人々は中産階級であり、年収1000米ドルなどというレベルより相当に高い収入を得ているであろうと容易に想像できますが、それでも、日本の若者たちや米国の若者たちがアルバイトで稼ぐより少ない賃金で働いていることは確かでしょう)笑顔が溢れています。こんなにリラックスして広場で夜の9時過ぎであっても子供たちと遊べる、子供たちの存在をこんな風に楽しめるということは、将来について楽観的に感じていて明るい希望を持っているからだろうと思いました。

日本では「少子化」、「高齢化」「非婚者の増大」が社会問題と言われ始めてから久しくなります。これは、漠然と自分たちの将来にあまり明るい希望が持てないし、結婚したり、子供を生み育てる経済力がないと感じる若者たちが多くなってきているという社会現象として認められています。国としての経済力は、日本とベトナムでは比較にならないくらい大きな差があるのですが、平均年収の高さは「将来の楽観度、幸せ度、安定感、子供を生みたい、育てたいという心のあり方を保証できないということを実感しました。

人々は何をもって自分たちの未来が明るく、子供を生み育てる環境が整っていると実感するのでしょうか?ホーチミン廟で見た笑顔の若者たちや赤ん坊、子供たちを見てそんなことを考えました。健康保険の未加入者が5000万人を超え、失業率も高止まり(9.2パーセント)の米国、国民年金や国民健康保険料の未納者が増え続け失業率も高止まりしている日本の状況を考えると、若者たちが将来に漠然とした不安を感じていても無理もないことでしょう。

何が人々に安定感と安心感を与えるのかということを考えさせられました。
日本でも、「少子化」から逃れるには、国全体の問題として、若者たちが希望をもって生きることができる環境をどのようにして作ればよいのか研究の余地がありそうです。
その際「資金がない」というのは言い訳になりそうもありません。

自然に基本的な問いかけが起こる旅でした。