東日本大震災・津波の被災地を訪れて

この8月中、短期間ですが、東日本大震災・津波の被害を受けた地域を訪ねボランティア活動に参加しました。簡単にご報告すると同時に、日本に戻られるチャンスがありましたら、ぜひ皆様にもボランティア活動に参加していただけるよう、HOW−TOの情報を提供させていただきます。

今回車で訪ねてみたのは、宮城県仙台市、名取市、松島市、石巻市、南三陸町、岩手県宮古市、釜石市、山田町、大槌町、陸前高田市、気仙沼市などでした。3月11日の後、Japan TVその他のニュースで被害の有様をみた場所ですが、現実にみる被害地は遠くから見ると一面の野原のようですが、近づいてみるとそこに人々が家を並べ家族と共に生活していた場所であることが分かります。半分壊れた風呂があたり一面何もないところに立っていたり、はっとさせられます。仙台市の若林・荒浜地区など海岸のすぐそばの地域では見渡す限り平地なので、逃げると言っても逃げるための高台がなかったことがよくわかります。内陸地に移動すれば、5,6キロはあると思われる範囲で津波が押し寄せた跡が残っているのです。

私がボランティア活動に参加する機会をいただいた岩手県遠野市は、ちょうど扇の要のような場所に位置する内陸部の町ですが、宮古市、釜石市、山田町、大槌町、陸前高田市、気仙沼市へ1時間と少しで到達できる距離にあります。どちらの市や町にも山一つ越えて行けるという距離なのです。現在の遠野市の市長さんは以前岩手県の災害対策関係の部署にいた方で当時から新潟地震など日本の各地で起こった地震・災害に岩手県からの救援活動のリーダーとして参加したという経歴の持ち主で、遠野市長になってからも、常日頃「いつか岩手県の沿岸地域にも大地震や津波などの大災害が起こるかもしれないのでその時には後方支援の中心にならなければ」と準備していたそうです。3月11日に大災害が起こると、県や国より早く現地の救援に水、食料、ガソリンなどを持って駆けつけ、現在に至るまで救援活動の中心基地となっています。被災地では町が壊滅状態になっているところも多く、救援者の宿泊施設などもありませんので、救援活動に従事する自衛隊なども遠野に基地を設置しました。遠野市の市民有志が市などと協力して設立した「遠野まごころネット」は、市が提供した施設(体育館や公民館)をベースにして8月20日前後は常時250-60人くらいの人々がボランティアとして宿泊し毎日上記のような市町村にグループごとにバスやマイクロバスなどに乗って出かけて行くという状況でした。ボランティアが運営するまごころネットは、受付け、センターの運営、ボランティアのオリエンテーション、現場への輸送など全てをボランティア自身が担っています。主として若者たちの姿が目立ちますが、定年退職後にボランティア活動をする人々も多くいます。やはり、全体としては、がれきや汚泥の撤去など力仕事の割合が多いためか、若い男性の姿が目立ちます。女性は50−60人くらいと思われました。ボランティアの仕事としては、がれきや汚泥の撤去などのほかに、心のケアをするグループ、写真を洗って整理するグループ、「タッピング」といわれる肩たたきに似た体のケアを被災者に提供するグループ、保育園や幼稚園で「お絵かきプログラム」を行うグループなどに分かれて、さまざまな活動を行っています。私は、1日だけでしたが前夜のミーティングに参加しタッピングの講習を受けて翌日大槌町で仮設住宅を訪ね被災者の方々にタッピングのサービスを提供するグループに入れてもらいました。長期的にボランティア活動を続けている九州出身の若者がグループをこれまた以前に活動に参加したボランティアが置いていった(寄付した)乗用車に乗せて仮設住宅に案内してくれました。二人一組になって、一軒づつ「タッピングでお体のケアはいかがですか。気持ちよく眠れるようになりますよ」などといいながら回りますが、留守の家は除き3,4軒に一つくらいで「あ、それはよいからやってもらおうか」ということになり、家に上がりお話をしたり、ちょうど折から中継中の高校野球のゲームを見ながらトントンと肩や背中を軽くたたきました。被災者の方がたは、こちらからは聞きませんが問わず語りで「津波が来たときは、XXにいてやっとの思いで逃げた」などと話をしてくれました。元大工で現在は漁師をしているという64歳の被災者の男性は、「地震がきた後、消防の人たちと水門を閉めようとしたけど、地震の後水門がゆがんでしまって閉まらなくなってしまった。建設機械を持ってきてなんとか閉めて、後は持っていたラジオで津波がくると聞いて自転車に飛び乗って坂を走って上がった。最後は、自転車で上がれなくなって降りて、自転車抱えて、ラジオ抱えてやっとのことで坂を走り上がった。水門を一緒に閉めた消防の二人は死んでしまった。津波がすぐ後ろまで迫って、おれが坂を上がって逃げた最後の一人だった。なんとか津波を逃れて、一山越えて隣の部落の実家を訪ねると、実家も流されてしまっていた。もちろん、大槌の自分の家も仕事場も、船もみんな流されてしまった。必死で抱えて逃げたラジオと自転車はそれから役に立ってね、みんなで地震や津波の被害などについてのニュースをそのラジオで聞いたのさ。自転車だって、いろんなところに行くのに役に立ったね。今は漁港の復興の仕事を手伝っている」と語ってくれました。私のパートナーが行っていたタッピングの終わると、「アイスクリームでも食べて行きな」ともてなしてくれました。別の家でタッピングを終えたもう一つのチームも合流して、和気藹々と30分ほど談笑してしまいました。この男性は64歳ですが、今度の経験を自分の知恵と脚力で生き残り、全てを失ってしまいましたが、まったくへこたれてはいません。「また船を持って漁師の仕事をしたい」と将来を夢みていました。この人ならやり通すだろうな、という確信がもてました。

個人として参加できるボランティアのシステムや団体は、あまり多くないようですが、日本に帰国された際に2,3日でも時間があれば、「遠野まごころネット」の活動はお勧めです。遠野はJRで東京から行くことができます。まごころネットのボランティアセンターは、遠野の駅から歩いて行ける距離ですが、大きな荷物がある場合はタクシーを使うことができます。このセンターに泊まる場合は基本的に宿泊は無料です。センターの中には「ラーメンはご自由に召し上がってください」という掲示もありましたが、食費は自己負担ということになります。付近には歩いて行ける距離にスーパーマーケットなどがありますので、買い物には困りません。他県や外国からのボランティアが多数いるこのセンターに行ってみると、日本もまだまだ捨てたものではない、互いに助け合う精神が残っているのだと感じます。特に若者たちが集ってボランティアをしている姿を見るのはうれしい経験でした。このセンターに宿泊せず、別の場所に泊まりながらボランティア活動に参加することもできます。それぞれのその日の活動への出発時間にセンターの集合場所に行けばよいのです。しかし、救援関連、報道関連、ボランティア関連の宿泊者で町のホテル、旅館、民宿は常に満員状態なので、現地に行ってから泊まる場所を探すのは困難が予想されます。センター以外の場所での宿泊を考える場合は事前に予約されることをお勧めします。

山田町や宮古まで足を伸ばすとと有名な「浄土が浜」という観光名所が近くだったので行ってみましたが、ここでも、町の人たちは「今年は観光客が減ってしまった、バス会社などみな困ってるよ」と言っていました。日本での観光を考えていらっしゃる方がありましたら、東北地方がお勧めです。ボランティア活動も旅程に入れ、観光地も巡って、この地方が疲弊してしまわないよう、沢山お金を落としてください!島々が町を囲んで守った形になっている松島は多少観光客でにぎわっていました。この町の津波の被害は他の町と比べると、少なかったのです。

遠野まごころネットについてお知りになりたい方はインターネットで「遠野」または「遠野まごころネット」で検索すると、ボランティアに志願する方法や、申込書にアクセスでき、オンラインで登録できます。ぜひお試しください。車で移動なさる場合は、ボランティア活動に参加したということで証明をとり、最寄の自治体を通して高速料金が無料になる制度もあるようです。