原告陳述書 2

                                                                                                  2023年 2月22日                                                                                            近藤 ユリ

当訴訟において被告国側は日本国憲法10条の「日本国民たる要件は法律でこれを定める」という条項に基づいて国は誰が日本国民であるか、また国籍の取得と喪失について定める権限を持つものであり、国籍法11条1項が自己の志望により他の国の国籍を取得した日本国民は国籍を喪失すると定めていることは、国の立法裁量権の範囲であり、重国籍の発生を防ぐという合理的目的に叶い合憲であると主張していることについて、その主張を全面的に否定するものではありません。しかし、立法裁量権の範囲であると簡単に決めつけ正当化できないような事象が、この条項が適用されるそれぞれの現場で生身の生きて生活している人間たちにどのような影響を与えているのか、時として人権の侵害をもたらすような行為が行われる「結果」をもたらしている事実について述べようと思います。また、在外邦人がなぜそれぞれの居住国において国籍・市民権を取得する必要に迫られるのかということについても、説明します。

居住国の国籍を取得する必要はない?

当訴訟の被告側第一準備書面に見られる回答の中でも、特に私が強く印象を受けた点について述べてみます。被告政府側は第一準備書面の119ページ中で、「家族関係や経済生活、社会生活が国境を越えてしまった」海外在住日本人について、必ずしも当該居住外国の国籍を取得する必要はなく、国籍法11条1項の適用を受けたくなければ、当該外国国籍を取得しなければよいのだ、と主張しています。

外国国籍を取得する必要がない理由としては、「…近時、多くの国では、外国人に対して法律上の保護を与える必要があるとして、一定の制限はあるものの、広範な権利の享有を認めるようになっている(乙第一号証・17ページ)。国家は、外国人が日常生活を営むのに必要な権利能力や行為能力、裁判の当事者能力は認めなければならず(自由権規約16条参照)、移動・居住の自由、表現・思想・信教の自由は、国の安全等に必要な場合を除いて、原則的に制限することはできない(自由権規約12条、18条、19条)とされている(乙第29号証・422ページ)。」としています(被告第一準備書面119ページ(2)アの第二小節)。

具体的な裏付けのない反論

このような主張の具体的根拠は、自らの調査結果としても、第三者の調査に基づく事実や議論として一切引用したり触れることなく、机上の空論として主張されているだけです。「自由権規約」の条文を挙げるに至っては、国際的規約が存在するという事実があれば対象諸国でそれらの条文の内容が確実に実現されていることを証明しているかのような書きぶりであり、認識の甘さを露呈しており、実証的に当該諸国の法律やその実施について調査や、当事者のインタビューなどにより現実がどうなのか調べてから議論するという基本的な知的態度が完全に欠如していることに驚く他ありませんでした。国を相手に提訴された裁判の中で、国を代表して反論する者(日本を代表する官僚たち)がこのような幼稚な議論をして恥じないという事実に唖然としました。

多くの日本人が居住し、帰化もしている米国のみをとっても、また東京訴訟の原告となっている主としてヨーロッパの国々に居住する方々も、滞在国の国籍がない限り事業をしたり、特に政府関連の入札や仕事をしたり、軍事機密などに関わる研究職につくことができなかったために国籍を取らざるを得なかった、と述べています。私も2004年に米国籍を取得しましたが、その意思決定に至るまでに様々な体験をしました。ここで一つの要因となった祖国日本への往来の自由の問題について私の経験をお話します。

米国永住許可(グリーンカード)の不安定性

過去の日本のパスポートを見ながらこの原稿を書いていますが、そこには1994年12月に日本に帰国し、1995年の3月に出国した記録が残されています。この当時、私は米国アリゾナ州に居住し、アリゾナ州立大学の法学大学院で3年目の課程に在学中であり、1995年の5 月には卒業が予定されていました。もう少しで卒業という時期でしたが、その4年位前から日本にいる母が癌の治療のため入退院を繰り返しており、見舞いのため、それ以前も学業の合間を縫って1992年2月、6月、12月、1993年6月と8月、1994年7月と度々日本に帰国していました。1994の年末に母の病状が重篤であり、死に至る危険が迫っているという知らせを受け、看病のため休学して日本に帰国することを決めました。その後、翌年2月に母が亡くなり、その後の葬式その他を済ませて米国に戻ったのは1995年の3月でした。

この間、米国の永住許可(いわゆるグリーンカード)を所持していましたが、とり急いで日本に帰国したため「再入国許可」を入手してから米国を出国する余裕はありませんでした。その当時でも、グリーンカードの所持者は、法的には1年までは米国の外に出ても支障なく米国に戻れるはずでしたが、「はず」はあくまでも「はず」であり、実践的には、6か月以上米国外に滞在して米国に戻ると、入国管理官により「グリーンカード」を取り上げられてしまう危険がありました。「米国に居住していないのだから、グリーンカードは必要ないね」というのが担当官が使う理由であり、この危険は担当官の胸先三寸の恣意的な意思決定であり、いつ何時自分がそのような恣意的判断の対象になるか予想はできない状況でした。「幸いなことに」というのはあまりにも悲しい言い方ですが、母が亡くなったのは私が日本に滞在している3か月くらいの間の出来事でしたので、私は米国への再入国の際のリスクを心配せずに米国に再入国でき、学業を再開し、卒業は1年遅れてしまうという結果にはなりましたが、母親の死に目に会うことができ、短期間でしたが最後に看病することもできてよかったという気持ちでした。

私の場合には状況的に、親の看病のために日本に帰国している間に米国での滞在許可が危うくなるというリスクには直面しないで済みましたが、その後弁護士として働くようになった後にも多くの方たちから「親の看病のための帰国とグリーンカードに関する問題」にいて相談を受け、日本と居住する外国との間の在留許可については永住許可であるはずのグリーンカードであっても、最終的には不安定であり、「親が死にそうな状況がずっと続いていて米国に戻ることもできないが、グリーンカードなので在外期間が超過することの恐怖を感じている。もし親がこのまま長いこと「死にそう」な危篤状態が続いた場合はどうすればよいのか途方に暮れるし、毎夜悪夢を見る。私が米国での永住許可を失ったら、米国人の夫と米国に暮らす子供たちとの生活が分断されてしまう。そうかと言って危篤の親を捨てて米国に帰国できない。親を捨てるか夫と子供を捨てるか選べと言われているようで、本当にどうしてよいか分からない」という悩みを多くの人たちから聞きました。私個人の場合には同じ状況に至らず許容期間内に母の看病をし、死に目に会うことができ、葬式も済ませてから米国に戻ることができましたが、事情が少しでも異なっていたら、同じような悩ましい深刻な状況に陥っていたことでしょう。その時点でも、母は亡くなってはいましたがまだ85歳になる父が存命中であり、いつ何が起きるか分からない中で、自分自身もいつ同じような状況に陥るか分かりませんでした。

上記のような相談を受けた場合、「最終的にはご自分の判断ですが、グリーンカード保持によっても解決されない深刻な事態においての日本と居住国との移動の自由を獲得するためには、米国側(外国側)の条件を考えると米国籍(当該外国籍)を取得することも選択肢の一つとなりますね」という回答をしていました。また他者からのアドバイスを得るまでもなく、同様の状況に直面して、または直面することを予測し、自らそれぞれの当該在留国の国籍を取得することにより、その時点での生活の拠点、家族と共に暮らす拠点に戻る自由を確保しようと決めた方々の例を多数知っています。

親の死に目に会えない

今回の訴訟における政府側回答、「外国に移住した者、あるいは家族関係や経済生活、社会生活が国境を越えた者は必ず、外国国籍の取得が必要であるから国籍法11条1項の適用を受けざるを得ないかのような原告の主張は誤りであり。。。」(同上119ページ(2)のアの第二小節)という主張に反し、多くの海外居住者は海外に居住することを選択したからと言って、親兄弟を捨てて外国に居住しているわけではなく、日本にいる家族に対する愛情と互いを思う心を保持したまま海外に居住しているものであり、できる限りで病気になった肉親を看病したり、傍らにいたいという強い感情をもっているものであり、そのような気持ちを行動として実現するために居住する諸外国と日本との間を自由に往来できるようにするためのOptimal最適な対策をそれぞれが選択しているのです。それぞれの当該諸外国の国籍を取得するということも、そのような苦肉の策、自己と愛する家族との絆を保ち、相互にケアし愛情を表現するための人間としての基本的かつ必然的な手段なのです。そのような行動、選択に対して日本政府が日本国籍を剥奪し、日本に自由に帰国する権利を奪うという政策は到底容認できないものです。

このような政策のため、特にコロナによる外国人(日本国パスポートを所持しない者たち)への入国制限のため、多くの日本人たちが「親の死に目に会えなかった」という悲しい体験をしました。私にアドバイスを求めてきた方々の中にもこのような経験をした方が複数名いました。日本が国籍単一原則を理想とするからという理由で、国籍法11条1項の「自己の志望により他国の国籍を取得した日本国民は国籍を喪失する」という規定を国の裁量権の範囲内であると主張しどのような状況であれ死守するという政府側の主張は、多くの人々に苦痛と苦悩を与え、日本に残っている家族と海外に居住する日本人たち両方を苦しめる結果になったことを正当化できるものなのでしょうか?重国者を減らすという国籍法11条1項の制定時の目的を合理的なものであったと認めたとしても、実際苦しみを体験した同条項の適用者とその周辺にいる日本国民である家族や親せきの人々などの苦悩と権利の侵害の大きさを考えると、裁量権の範囲と言い切れるバランスの取れたものとは考えられず、立法裁量権は無制限ではないはずです。

国が主張する「国籍単一の理想」と実際に生きて生活している人々の人権、家族関係や絆の価値とのバランスが主権者である国民、日本国内に居住する日本国民と海外に暮らす日本国民の全てが納得できるレベルに保たれていると言えるのでしょうか?もう一度基本に立ち返って、じっくりと考え直す時期に来ているのではないでしょうか?

永住許可の保持者でも身分の安定は完全には得られない

主として私自身が6年位の期間日本に戻り生活した期間があるものの足掛け50年間にわたり居住し、また多くの日本人が居住する米国の例を見てみると、上記のような日米間の移動の自由を得るために市民権を取得する人たちも多くいるし、その他にも移民法上の制約などのため、より安定的な地位を求めて市民権を取得することを決めた人たちも多くいます。市民権を取得して何とか身分と生活の安定を得ようとする生き残り策でもあります。在米日本人の中には、一般的に日本国籍のまま数十年米国に居住し続ける人たちも多数います。私自身も永住許可(グリーンカード)を取得した1973年頃から市民権を取得した2004年まで約30年間永住許可者として生活していました。

社会保障の観点から米国市民と永住者の間に差別があり、国の財政上の危機がある度に永住者と米国市民との間の差別は広がって行く傾向にありました。社会保障の観点から、例えば高齢者(65歳以上など)向けのソーシャルセキュリティの受給権は基本的な部分は差別がありませんが、日本でいう生活保護などについては、低所得者向けの老齢補助年金(Supplemental Security Income:SSI)などの年金上乗せ分野では市民権がないと受給できないというような差別はあります。これは高齢者になった時に、最低生活ができるか、ホームレスになってしまうかというような危機的状況においては生死を分けるような差別です。日本とは異なりヘルスケアの分野で国民健康保険制度のような国民皆保険制度のない米国では高齢者にならないとSocial Securityによる国民皆保険に加入できず、その年齢に達するまでは、多様な保険会社から多様なレベルの保険を購入する必要がありますが、それだけの経済力のない極低所得者向けには日本の医療扶助制度と似た連邦政府管轄のMedicaid制度がありますが、これも市民権を有する者と永住許可保持者との間に差別があります。州により適用範囲は独自に決定されますが、一般的にはこの制度の恩恵を受けるためには市民権を有することが条件になります。昔はフードスタンプと呼ばれたカード式食料支援についてもSSIと似た基準での適用になりますが、市民権がないと差別されます。やはり、米国市民と永住許可者の間には明らかに差別があり、しかも永住許可者に対する制限は財政状況や州ごとの政策などに翻弄されやすく、たびたび変更となり不安定要素になります。

移民法上の観点から見ても永住許可者の身分は安定的ではありません。例えば、どのような犯罪を犯しても一般的に米国市民であれば国外退去や強制送還の対象となることはありませんが、永住許可者であれば一定の犯罪で有罪になり、または一定期間以上の懲役刑になると、強制送還の対象となり、永住許可は消滅してしまいます。例えば、永住許可者でも入国してから10年以内に「道徳的に邪悪な犯罪」で有罪となった場合、ドラッグ関係の犯罪を犯した者、家庭内暴力(DV)、児童虐待などで有罪になった場合、保護命令違反者、酒酔い運転などでも重罪となるような極端な場合は、強制送還の対象となります。(8U.S,C,m1227)罪状によっても異なりますが、強制送還の対象となった後、再入国が許可されるまでの期間は最長20年に及ぶ場合もあります。安定的な身分を得て、現在居住する国で問題なく暮らして行くため、つまり生存のため市民権を取得しようと思う者がいるのは自然なことです。

政治参加の観点から。私自身の例を振り返ってみると、2004年に市民権を取得した際の動機としては、フルに政治参加したい。大統領選挙や州レベルでの知事選挙、上下院議員の選挙に投票したいと願うようになったことも大きな要素でした。それ以前から民主党員になって、地域の活動に参加していました。選挙の際には、米国では許可されている有権者への個別電話勧誘などもしました。どの人に投票するようにと手当たり次第に電話するというのではなく地域の党本部が持っている民主党員の有権者リストに載っている人たちに電話を掛けて「確実に投票してください」と注意を呼び起こす活動でしたが、次第に自分の考えに従って投票したいと願うようになりました。永住許可者は通常の生活において、ほとんど差別を感じませんが、一つ大きな差は投票権がないということでした。当時特に大統領選挙においてぜひ投票したいと願っていたことを記憶しています。多くの人が投票したいという希望により、私と同じ選択をしたと思います。

国籍法11条1項の特徴と実施の無理強いの大きな弊害

当訴訟において国側は、国籍法11条1項は憲法10条により付与された権限により国民の範囲を定めるため、具体的には重国籍を防ぐという合理的な目的のために立法されたものであり、立法裁量権の範囲内であり合憲であると主張しています。しかし、当初の目的が合理的であれば、その条文およびより重要なその実施の具体的な状況がどのような非合理的かつ残酷と呼ぶことができるような事態をもたらし、生身の人間たち(日本国民、および国籍法11条1項の効果により日本国籍を喪失したとされる者たちの両方)に何が起ころうと、「立法裁量権の範囲で合憲」と主張し続けられるのでしょうか?法律は一度立法されて、その立法の動機が「合理的であった」という理由でその後、その実施がどのような不正義をもたらしても、その影響を調査し、考慮し、再評価する必要は全くないと言い切って良いものなのでしょうか?現在の国籍法11条1項は、元来は明治憲法の下で立法された内容が条項のタイトルが変更となったのみで数度の国籍法改正を経過しても、原形のまま踏襲されたものであると知るに至りましたが、明治時代の日本社会と現在の日本社会は、同質な社会なのでしょうか?社会も日本が置かれる国際的状況も明治時代とは大きく異なっているにも関わらず、家族関係もはるかに国際化している日本国民、日本人が存在する中で、原形のまま立法裁量権の範囲で合憲と主張し踏襲すればよいものでしょうか。

ここで、私が直接相談を受けたまたは経験者から直接聞いた出来事について、述べてみます。

国籍法11条1項は、考えれば考えるほど奇妙な、少なくとも大きな混乱をもたらす条文です。「自己の志望により他国の国籍を取得した日本国民は国籍を喪失する」と書かれていますが、国の主張する「他の国の国籍を取得した瞬間に日本国籍を自動的に喪失する」とはどこにも書いてありません。そしてどのように自動的に喪失するのか不明のままです。そして、事実関係を検証すると、このような日本国籍の自動喪失というのは観念ではあるが、実際には「自動的に喪失する」ことを確実に実施するメカニズムは存在しません。自動的に喪失すると言いながら、実際に日本国籍が喪失されるというより、喪失されたことを証明するというプロセスは戸籍の抹消として具体的には完了します。

しかし、現実に起こることはこの「自動的国籍の喪失」というのは、国籍法11条1項が適用される当事者の協力なくしては、実現しないのです。「自動的に喪失する」と誰が何回主張しても、自動的に国籍を喪失したことを証明する過程の最終的証明、つまり戸籍の抹消までに至る全プロセスの完了には当事者の協力が必要です。この過程が完了しないと、誰も「晴れて日本国籍を剥奪されたことを証明し、戸籍を抹消され、正式に外国人であることを証明する」ことができません。私にはいくら考えても、この過程全体が「自動的」であるとは思えませんし、事実少しも自動的ではありません。

問題はまず、条文自体に国籍を喪失するにしても、いつの時点でどのようにして、どのようなステップを踏んで喪失するのかという過程・方法が全く書かれていない点にあります。現在までに私が理解した範囲では、国籍法11条1項を適用して、日本国民の国籍を喪失させるためには、同条項が適用される当事者が自発的に(「自己の志望により」)国籍喪失届という日本政府が作成した届出書に自ら書き込み、国籍を取得した当該「他国」から帰化証明書または別の政府発行の国籍取得の証明(取得の年月日が書かれていなければならないという条件付きで)を日本政府に提出・提示しなければ、政府としては当該「他国の国籍を取得したという証拠書類を入手できず、戸籍の抹消に至る「国籍の喪失手続きの全て」を完了できない(またはしない)ようです。推定すると、国籍法11条1項の適用を受ける対象者の多くが、このような日本政府への協力を意図的であるか否かを問わず、拒んでいるか無視しています。

そこで、日本政府はこのような状況を推察または知りながら、有効な手段がないままであったようですが、最近数年間に私自身が当事者から聞いたり、伝聞で知った例を見ると、このような事態を打開し、国籍法11条1項適用者から上記「国籍喪失届」および「帰化証明書」を駆り集め、正式に国籍を喪失した証明とし戸籍の抹消までのプロセスを完了し、正式に「外国人」とすることに躍起になっており、その実施方法には極端な例も多く見られ、「国籍法11条1項の立法目的は合理的であり、合憲です」と主張するだけでは到底正当化できないことが起こっています。

日本の在外公館(大使館・領事館)においてこの「国籍喪失届」と「帰化証明書」狩りが極端なレベルに達しており、多くの在外日本人コミュニティにおいて恐怖を呼び起こしているという報告を受けています。直接私が当事者から聞いた例では、米国帰化者の配偶者で日本国籍の者(永住許可を保持する者)が日本のパスポートを更新しようとしたところ、領事館の担当者が「あなたの夫は米国に帰化していますね、彼が国籍喪失届と帰化証明書を提出しない限り、あなたの日本パスポートは更新しません」と脅迫したというのです。そのように言われて心理的にトラウマになってしまった妻は、熟慮の末に弁護士を雇用して再度領事館に連絡してもらうと、「あ、間違いでした」と簡単に要求を取り下げ、最終的には日本のパスポートを更新したそうです。このような事象について、複数例、各地の領事館での出来事として報告されています。この脅迫を受けたご本人は精神的にトラウマとなり、一次は精神科の治療も受け、その影響もあり、体調をくずして寝込んでいたと言っていました。その後、時間が経過しても「二度と領事館には接触したくない」と嫌悪感を抱くにいたっています。これは政府の強い立場と権限を法的根拠なく悪用する弱いものいじめのパワハラに他なりません。このような例は他にも数多く起こっているようで、単発的偶発的に起こったことではなく、政策的に統一的行動を各地の領事館・大使館で採用しているように見えます。このような出来事は、当訴訟の政府側回答でも認めているように戸籍法に則り海外在住の国籍法11条1項適用者は「国籍喪失届」を提出する義務はないはずであるにも関わらず、日本国民である配偶者の日本パスポート発行を脅迫の道具にするというやり方で、どんな方法を使っても「国籍喪失届」を駆り集めようという意図が露骨に現れ、当事者である日本国民に言われのない恐怖を与え、その人権を侵害する行為であり、到底許容できるものではありません。外務省が在外公館に対しこのような政策を推薦・指示しているのであれば即時中止すべきです。

このようなことが起こった直接の原因は、国籍法11条1項というある意味では観念的「絵に描いた餅」条項をなんとか「自動的に国籍を喪失させる」メカニズムがないにも関わらず無理やりに厳格に実施しようとした結果に他なりません。ある意味で、このような手段を使わなければ、他国の国籍を自己の志望で取得した日本国民の数も実体も把握していないし、把握できないと認めた日本政府は、国籍法11条1項を実施できないという現実に直面しているのです。このような強硬な手段を使って国民の人権を踏みにじってまでして「国籍喪失届」と「帰化証明書等」を狩り集めても、全ての当事者を見つけ出し同条項を厳格に実施することは不可能です。

このような特徴を持つ国籍法11条1項は、立法時の目的は合理的であったかもしれませんが、現在の状況の中でその実施まで含めて合理的な適正な法律とは考えられません。立法裁量権も無制限であるわけではなく、立法裁量権の範囲内で立法された法律であっても、実施の実態を考察し、バランスを欠く不正義をもたらしている事実に目を向けるべきできです。このような極めて悪質な権利の侵害をもたらすような状況を改善するためには、国籍法11条1項を廃止する他に解決法はないように思われます。厳密かつ正確、平等に実施できない、権利の侵害をもたらす法律は廃止すべきです。当訴訟の中で、議論がただ立法時の目的が合理的であったか否かに集中するのであれば、議論そのものが不毛であるし、実際にこの法律の悪質とも呼べる無理な実施に苦しむ世界中の在外邦人の状況を改善することはできません。

さいごに

政府側は、その回答の中で今時の諸外国に居住する日本国民は当該滞在国の国籍を取得する必要があるとは思えない、国籍法11条1項により他国の国籍を自己の志望で取得したという理由で国籍を喪失したくなければ、他国の国籍を取得しなければよいだけのことだ、という単純、かつ諸外国における外国人としての生活の実態、権利の範囲などに関する理解の不足に基づく論理に対し、今後も具体的な実例を集めて反論して行きたいと思っています。この他にも、諸外国において学術上、研究上、政府関係の機密を取り扱う業務などのためなどそれぞれの居住国の国籍を取得せざるを得なかった人々の個々の事情についての情報も政府側への反論のため収集し裁判所に提出して行きたいと思います。

“原告陳述書” への2件のフィードバック

  1. Yuri Kondoのアバター
    Yuri Kondo

    This is a test comment.

  2. Yuri Kondoのアバター
    Yuri Kondo

    Merry Christmas!