2006年2月

 今回は、アリゾナ州におけるバイリンガル教育について考えてみましょう。皆様の中には、日本から転勤または転居されてアリゾナに到着後、地元の学校でお子さんがESL(English as Second Language)プログラムのお世話になった経験をされた方もおられることでしょう。今は大学生になった私の娘も小学校1年生の時に日本から転居してきたために、スコッツデールのセコイヤ小学校のESLプログラムに1年間入れていただきました。このように外国語を母国語とする子供たちのために英語を教える特別なプログラムが存在することに感激したものでした。日本で少し英語を話していたという背景と、1年間このプログラムで勉強した成果が出て、1年後には普通のクラスでの授業にほとんど問題なく参加できるようになりました。
このようなプログラムが存在する背景を考えてみると、米国社会が法的に英語を母国語としない人々にも「教育を受ける平等の権利」を保証していることが分かります。1974年に成立した「教育機会均等法」(Equal Educational Opportunities Act: EEOA)は、このような権利が明確に法律として定めています。この連邦法は、人種または出身国に関わらず、全ての子供たちに教育課程に平等に参加する機会を保証しています。また1974年に米国連邦最高裁判所は、英語を話さない中国系の学生に対して、英語を十分に教えるか、中国語で教科を教えるという手段のどちらか、または第三の方法を使って教育を受ける権利を平等に保証すべきであるという判決を下しました(414 U.S. 563, 1974)。1968年に成立した「連邦バイリンガル教育法(The Federal Bilingual Education Act of 1968)」と相俟って、米国各地の学校でいわゆるバイリンガル教育が広く行われるようになりました。アリゾナ州でも住民の大きな割合がヒスパニックであることから学校に入学するまでスペイン語のみを話してきた子供たちが多数おり、これらの子供たちを対象にスペイン語と英語の両方を使用して授業を行うバイリンガル教育が行われました。


 ところが2000年11月に州民提案法203 (Proposition 203)が提出され、多数を得票した結果、いわゆるバイリンガル教育(教授用の言語として2つの言語―英語プラス別のもう一つの言語―を使用)が公式に禁止され、「英語のみによる教育(Structured English Immersion: SEI)」が英語を学ぶ子供たち(English Language Learner: ELL)を教える標準的教授方法として法的に確立されました。(アリゾナ州に存在する多くのネイティブ・アメリカン各部族の言語は、連邦法でこれらの言語の復活が保護されており、Proposition 203からの特別除外となっていますが、事実上、公立学校でそのような独自の言語を保護するプログラムを実施することは困難です。)Proposition 203の影響としては、SEIプログラムの強制、バイリンガル教育が例外的な場合にのみ許可される、10歳以上のELLでない限りバイリンガル教育に参加することが困難となった、という点を挙げることができます。SEIプログラムの実施に伴いESLプログラムは廃止されました。


 SEIの方法がELLを米国で平等に教育する最も有効な方法であるか否かについては多くの議論を呼びました。今日でも、最良の方法については学会その他で議論が続いています。特に、英語をまったく話さなかったELLの子供たちが1年間のSEIプログラムで本当に、他の教科の授業を完全に理解できるようになるのかという点が問題になりました。バイリンガル教育推進者たちは、完全に英語で授業を理解できるようになるためには英語のみで教えるより、英語とその他の母国語の両方を使用して教授する方が効果が高いと主張しています。もちろん、Proposition 203の支持者たちは英語のみの教授法が英語を完全に学ぶより良い方法であると主張します。当初は、1年間のSEIプログラム参加で英語を学ぶことができると主張していましたが、その後、3-5年はかかるかもしれない、という意見に傾いてきたようです。昨日のArizona Republicの記事に、Proposition 203の法的効果を柔軟に解釈して英語とスペイン語の両方を使用する授業法を行った学校で、ELLたちが両方の言語を話し理解できるようになったが故に英語での授業もより良く理解し、試験の成績も上がったという実例が挙げられていました。全国的、またアリゾナ州における学術的調査においても、バイリンガル教授法の方が教育的効果が高い(テスト得点がより高まる)という結果が報告されています。しかし同時に、バイリンガル教育を受けた子供たちがより低い収入の職種に就き、学業においても成績が劣るという結論を主張するグループもあります。


 Proposition 203成立の前も後も、一般的統計データをみると、ELLのグループは英語を母語として育った子供たちと比較すると、勉学に遅れをみせ、学力テストなどの結果も明らかに差が見られました。この点を考慮すると、「バイリンガル教育」の成果は興味深いものです。これまでに、Proposition 203の成立によるSEIの強制の影響がどのようなものであったかを評価する研究も行われ、SEIの実施にも関わらず、期待された速度でELLが授業を完全に理解する程度の英語力を身につけることができないという事実も判明しました。その反面、バイリンガル教育に近い環境で学ぶELLの方が英語力、他の教科内容の両方に関してより迅速に進歩するという調査結果も出ています。(英語を言語として学ぶと同時に、その他の教科に関してはスペイン語など母語を使用して学ぶ方法)


 2000年のProposition 203成立に先立ち、アリゾナのELLの子供たちの3分の1がいわゆるバイリンガル教育を受けており、残りの3分の2がESL(モデルとしてはSEIに似ている)で勉強していました。1992年にはこのようなヒスパニックの子供たちとその両親を代表する形で公民権保護の立場から連邦地裁においてアリゾナ州に対して訴訟が起こされました。Flores v. Arizona, 48 F.Supp.2d 937 (D.Ariz 1999) この訴訟では、上記のEEOAにより具体的に教育機会を均等に提供する、即ちELL対して英語教育を十分に提供し、一般教科を理解できるようにする義務が各州政府に課されている中で、アリゾナ州政府がこのような教育機会均等を保証するための英語教育の内容およびそのための資金提供が不十分であるという点が争点になりました。アリゾナ地区連邦地裁は、1999年に約20万人存在するELLのためのプログラムに対してアリゾナ州政府(議会)が十分な資金を提供していない、という判決を下しました。しかし、その後州政府は数年にわたり具体的に追加資金を提供しないままに放置しました。これに対し裁判所は、2002年1月31日までに不足する資金を提供するよう州政府に命じました。その後州政府は、裁判所の命令に従い、恣意的でない、事実に基づいたELSプログラム費用計算を行う努力をしましたが、不足資金を提供するという当初の裁判所命令を実施するに至らず、2005年12月には裁判所は新たな命令を出しました。この命令によると、ELLたちはAIMSテストに合格しない場合も高校を卒業できるという特例猶予期間が期限付きで設定され、また、2006年の州議会が開始されてから15日以内(2006年1月23日までに)に2005年1月28日の裁判所命令(ELLプログラムに対して、恣意的でない合理的な計算に基づいた資金提供を実施せよという命令)を実施しない場合は、1月24日から1当り50万ドルづつの罰金を30日間にわたり州政府に課す、30日経過後も未だ上記裁判所命令を実施できていない場合は1日当り100万ドルの罰金を次の30日間課す、そして、その30日間経過後も上記裁判所命令を実施しない場合は1日当り150万ドルの罰金を2006年12月31日まで課す、そして12月31日になっても上記命令が実施されない場合は1日当り200万ドルの罰金を州政府が上記命令を実施するまで課すことになります。
皆様もご存知のように、新年度の抱負を語った際にアリゾナ州知事であるナポリターノ氏は、教育への投資を「アリゾナの未来を築くための投資」と強調しました。アリゾナ州議会には、現在いくつかの関連法案が出ています。最近は、Proposition 203による妥協を許さないアプローチより、より柔軟性の大きな、また寛容な政策への移行を提案する声も大きくなっています。現在、上記の罰金を回避すべく、議会にELL/Fores関連の4つの法案が出されています。今後の成り行きを見守りたいものです。