2013年3月

 安部内閣誕生後初の日米首脳会談が2月22日にワシントンで行われました。首脳会談に先立ち安倍首相がオバマ大統領への手土産として「ハーグ条約加盟」とそれに伴う国内法改正を実施すると告げる予定であるという報道を目にした方々も多いことでしょう。日程としては今国会に提出し、5月に成立する見込みと推定されています。法案の内容としては、急いでいることもあり昨年11月に民主党政府が国会に提出したものをほぼそのまま踏襲する予定になっています。

*条約加盟に係る国内法

 「国際的な子の奪取と民事上の側面に関する条約の実施に関する法律骨子案(中央当局の任務と子の返還命令に係る手続き)」によると、子の返還命令手続きについて、新たに条約の国内担保法においてハーグ条約に基づく子の返還命令のための手続きを新設し、訴訟手続きではなく非訟手続きにするとされています(「子の返還命令手続きの新設」の第一条(返還命令手続きの新設)。

 同骨子案の「返還拒否事由」としては、「子の返還命令手続きに関する部分」の第四条(2)(4)(2)において、(子に対する暴力のみでなく)相手方に対する暴力等として連れ去り親が返還申し立て親から暴力を受けて子に著しい心理的外傷を与える場合、子を常居所に返還した場合に子と共に帰国した連れ去り親がさらに暴力を受ける場合。。。という条項がありますが、このような子に対するものでなく連れ去り親に対する暴力についてはハーグ条約そのものの条文には見られない文言です。また第四条(2)(4)(4)(3)には相手方(連れ去り親)が子と共に常居所国に帰国できない場合も挙げられています。これは相手方が常居所国に適法に入国できない可能性がある場合や、相手方が常居所国に戻ると逮捕されたり、刑事訴追を受ける可能性がある場合、相手方が常居所国において生計を維持することが著しく困難となる可能性、子が兄弟と同居できなくなる場合なども含まれます。これらの返還拒否事由もハーグ条約そのものに条項として含まれるものではありません。これらの条件には、相手方が常居所国に入国するVISAを喪失してしまった場合や、相手方への申し立て親からの暴力により子が心理的に傷害を受ける可能性などハーグ条約そのものには具体的に記述がない項目が含まれています。これらが実際にどのように適用されるかについては、条約加盟と国内法の成立後、日本の裁判官がこれらをどのように解釈して運用するのかその判断を考察しない限り現時点では推定できません。最初の判断は家庭裁判所が担当、不服申し立ての手続きとしては、高等裁判所への抗告および最高裁判所への特別抗告および許可抗告が認められることになります。

 実際に米国から子を連れて日本に帰国した日本人女性が子を不法に連れ去ったという判断を下され子を米国に返すが否かという決定を裁判官が下す際に「母親がすでに米国で暮らす滞在許可(VISA)を喪失しているので、米国に戻ると生計維持が不可能である(労働許可が取れない)」というような理由が子の返還を拒否する理由になるのか、現段階では推定できません。もし、このような論理が通用するのであれば、日本がハーグ条約に加盟することによりこれまでに起こった米国からの子の連れ去り問題に解決方法が得られるであろうと期待している米国側は政府も親たちも失望することになるでしょう。また失望するのみでなく、「日本のハーグ条約加盟は骨抜きではないか」という抗議の声が起こるであろうし、新たな外交問題を引き起こす可能性が大でしょう。

 また連れ去り親(日本人)が米国に入国しようとして逮捕される可能性がある場合に、不法な連れ去りであると認められれば自動的に子を米国に返還する命令が下り、逮捕のリスクがあるため米国に入国できず、今度は連れ去り親は実質的に子に会えなくなり、親権や監護権どころか面接権も失う、子が成人し自分の選択で連れ去り親に会いにくることができるようになるまで子に会えない、場合によっては子との絆を断ち切られてしまうという状況に至ることもあるでしょう。

 条約加盟後の措置として日本政府は相手国政府(上の例の場合は米国)に対して、「連れ去り親」が刑法上の犯罪人として逮捕されたり訴追されたりしないように、返還命令が下りた場合でも子と共に米国に入国して生活し子の監護を続けられるように米国政府と交渉すべきであるという意見も多々見られましたが、これは米国の現状を知るものからすると非現実的と言わざるをえません。米国の離婚訴訟では、離婚訴訟が開始されると同時に両方の親に対して、「裁判所またはもう一方の親からの許可なく子を州外に連れ出してはならない」という裁判所命令が出されることが一般的です。そのような命令が出ている状況で子を連れて日本の戻る(里帰りして米国に長期にわたり戻らないなど)と、自動的に「裁判所命令違反」の状態になってしまいます。相手側の親がこれを裁判所に申し立てれば、簡単に「連れ去った親は、法廷侮辱罪を犯した」という判断が下り、しばしばそれに続いて逮捕状が出されます。州を越えての犯罪(誘拐罪)となるので、他の州へ連れ出してしまった場合でも、米国から日本へ連れ去った場合でも同様にFBIの指名手配人になってしまうというシステムになっています。こうなれば、州法を犯した犯罪人かつ連邦法上の指名手配人となってしまうので、政府間の交渉で「誘拐罪」および「法廷侮辱罪」を取り消したり、適用しないようにすることは不可能です。一旦逮捕状が出れば、刑事事件として法廷で弁護人を付けて争う、そして無罪を勝ち取るという手順を踏まずに、罪状をキャンセルすることはできません。米国人同士なら犯罪になることを日米間の場合のみ、つまり日本人(外国人)の場合にも罪を問わないという差別はできるはずもありません。

*子の返還命令の強制執行方法

 日本の裁判所が不法な連れ去りと認め子の返還命令を出した場合、「連れ去り親」の任意による返還に任せるというのであれば、ハーグ条約に加入する意味はないことになりますから、いずれかの方法で返還命令を強制執行することになるでしょう。その具体的方法については法案には示されていませんが、裁判所による「間接執行方法」を採用するとされています。また子の返還が任意に実現するよう、中央当局(外務省)が「連れ去り親」の説得に当たり、その他調停、ADR(裁判以外の代替的な事件解決方法)などを積極的に活用するとあります。それらの仕組みについても、具体的には何らの記述もありません。今後仕組みを作って運営するということでしょう。連れ去りが起こるほど拗れた事件ですから、第三者を交えたというだけで簡単に話し合いで解決するものとも思われません。そのような理由から強制執行による子の返還という形を取る場合が多くなると予想します。具体的にどのようなシステムになるのかが今後大きな焦点になるでしょう。

 今回の日本のハーグ条約加盟とそれに伴う国内法が成立しても、その効果を遡及的ではないため、これまでにすでに起こっている日米間の「子の連れ去り」のケースには法的効果が及ばないため、未解決のケースはそのまま残ってしまいます。日本のハーグ条約加盟に政治的圧力を加える運動をしてきた当事者の米国側親たちは(また逆の場合の日本人親たち)は自らが抱える問題を解決するためにこの条約の利益を得ることができないままになります。上記法案はこれらのケースをどのように救済するのか、解決に導く助けをするのかという点については沈黙を守っています。テネシー州に住む米国人の父親と日本に子供たちを連れ帰った母親のケース、日米両国での裁判や父親が日本で子供たちを「誘拐した」として逮捕された有名なケースを思い出す方も多いと思いますが、今回の日本のハーグ条約加盟および国内法成立もこの米国人父の戦いを直接支援する手段にはならないでしょう。テネシー州の裁判所で元妻に対して数億円という賠償金を勝ち取ったこの父親は恐らくその額を日本で元妻から実際に取り立てることは困難なままでしょう。元妻が米国を訪問しない限り実際の逮捕のリスクは無く、テネシー州の判決により日本で巨額を支払わせることは難しいでしょう。

 今回確実になった日本のハーグ条約加盟と関連国内法成立がどのように実際の「子の連れ去り事件」に適用されるのか、現時点では推察の域を出ません。この条約の効果は、実際に条約が批准され国内法として有効となり、いくつかの判例が出てから初めて具体的に分析できるようになるでしょう。

 これまでの考察でいくつか気になった点を挙げてみますと、日本側で解釈されている「監護権を有する親」の概念が「親権を有する親」という法的概念により近いように思われることです。第一回目の記事の中で述べましたように、ハーグ条約上の「監護権を有する親」の概念は、それより相当広い緩やかな定義です。子が住む場所についてある程度の拒否権を有する、不定期であるし、極めて少ない日数ではあるが、休暇時に子を面会、連れ出す権利がある親(そのような行動をしていたまたはそうしようと計画していたなどの例を含む)が監護権を有し、それを実施していた親の定義の範囲に入ってしまうことです。日本側が解釈する「監護権を有し、それを実施していた親」(主に、共同親権を有するか定期的に接見する権利を有していたか実施していた親)という範囲とハーグ条約上の範囲にずれが大きければ、そのこと自体が新たな問題を生み出す、そして何が「違法な連れ去り」に該当するか、どのような場合に子の返還命令を出すかについて争いが起こる可能性が大です。そこの部分ですでに争うことが頻繁に起こるのであれば、ハーグ条約加盟は子の不法連れ去りの問題を解決する手段として有効に機能するとは言い難いものになってしまうでしょう。一層の混乱と多くの裁判所での争いを招く可能性すらあります。強制執行についても、裁判所による間接的強制執行とは何を意味するのかまだ不明瞭です。子を無理やりに「連れ去り親」から奪い、外国に送る準備をし、外国の返還申し立て親に送り届けるという一連の手続きと実行をどのようなシステムで行うのか、具体的なイメージは皆無です。直観的には、このような強制執行は現在の日本の社会に馴染まない可能性が高いという印象を抱いてしまうのは私だけではないかもしれません。考えれば考えるほど複雑で難しい問題が出てきそうです。