1999年6月

 米国は訴訟社会であることはもう皆様ご存知のことでしょう。自分では、法律的な紛争や訴訟に巻き込まれたくないと思っていても、相手に訴えられてしまうこともあります。個人のレベルでは家庭内のもめごとが離婚問題に発展し、法廷で争うということもあります。企業の場合には、契約の履行をめぐって紛争が起きたり、相互に特許権を主張して裁判に至ることもあります。雇用差別やセクハラで従業員や元従業員に訴えられることもあります。一端訴訟になると、例え比較的単純な離婚のケースでさえ数千ドルの弁護士費用が必要になってしまい、混み合っている裁判所のスケジュールに合わせて自分の番を待っていると時間も延々と長引いてしまいます。

 契約違反で訴えられ、米国の連邦裁判所で公判を三ヶ月に及んで行わなければならなくなり毎月一億円という途方もない金額の費用を支払うはめに陥った企業もあります。そして、公判ともなれば「企業秘密」として裁判長が秘密厳守を認めてくれた部分のみを例外として(その部分の議論になると裁判長が当該「企業秘密」を知ってもよい立場の社員、弁護士などを除いて法廷から退出するように命じます)、公判中の議論は全て公開になる場合も多く、報道陣や一般市民も自由に出入りでき、新聞にデカデカと「契約違反・詐欺の嫌疑で訴えられた」とか「セクハラ対策を十分取らなかったので訴えられた」とか「環境を汚染したから訴えられた」などと報道され、企業イメージに大きな傷がついてしまいます。  今日は、訴訟によらず、問題解決までの時間を短縮でき、費用も少なくてすむ、プライバシーを守りやすい、紛争の新しい解決方法である調停・仲裁についてお話しましょう。

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 調停も仲裁もADR(Alternative Dispute Solution訴訟に代わる紛争解決手段としての別の選択肢)の一部として位置づけられていますが、両者はどのように違うのでしょうか。  最も大きな差は、調停の結果には法的拘束力がなく調停をしても対立する当事者間に合意が成立しなければそれまでという反面、仲裁の場合にはその結果は法的な拘束力を持つということです。また、調停者と仲裁者の間には資格または経験の差もあります。調停者は現在のところ特別に資格はなく、誰でも調停者になることができます。コミュニティのリーダーであるとか、心理学を専攻したカウンセラーなどが離婚の調停をしたりする場合もあります。勿論弁護士の資格を持つ人が調停者になることもあります。現在アリゾナ州では、調停者にも一定の資格を必要とするシステムを作ろうという動きがあり、調停者としての訓練を行い資格の認定をするためのコースなどもあります。  一方、仲裁者は通常、裁判官、元裁判官、弁護士などが務めます。現在アリゾナ州の弁護士は、弁護士になってから五年以上経つと仲裁者としてのサービスを要求され、一年にいくつかの事件で仲裁をするということになります。これには、混み合っている裁判所の荷を軽くし紛争解決のスピードを早めるために弁護士たちの協力を求めるという側面があります。

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 調停の場面では、実際に何が起こるのでしょうか。調停者は紛争の当事者たちと同席し、双方の意見を中立の第三者として聞き出します。聞き役に回り、当事者たちが十分に相互の意見を言い合い聞き合うことができるような場を提供します。同意できる妥協点を指摘したり、ある程度の提案はしますが、調停者はあくまで調停役であり、結論は出しませんし、自分の判断を当事者に押し付けることはしません。当事者間で相互理解を深め、妥協点を見出す助けをすることになります。調停が決裂すれば、当事者たちは元の状況に戻ることになり、続けてそれぞれの主張を継続して紛争が収まらないということになると、裁判という手段に訴えたり、弁護士を通じて法的な和解の手続きの可能性を探ることになります。実際の調停の場面には、各当事者の弁護士の同席は必ずしも必要ではありません。

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 一方、仲裁は裁判所による裁判とは異なりますが、法的な手続きの一部であり、証拠開示の手続きや証拠法の適用は略式ではあっても仲裁の過程では法的な手続きを踏みますから、当事者はそれぞれ弁護士の同席・代理が必要になります。仲裁者は(一人の場合も複数の場合もあります)、裁判官に似たような機能を果たします。仲裁の場は裁判所ではなく一般の法律事務所やホテルなどでも行われますが、形式的としては仲裁人の前で弁護士が冒頭陳述をしたり、各紛争当事者の証人が証言したり、相手側の弁護士が反対尋問をしたり、陪審員の存在はないながらも、公判と似た形式をとります。通常の公判より略式であり、時間も短く、証言などの証拠提出も限定されているとはいっても、それらが終了すると仲裁者はそれらの証拠を全て考慮して、法律に則ってどちらの当事者が正しいか判断を下します。これは「判決」とは呼ばれませんが、法的に強い拘束力を持ちます。仲裁の場合の興味深い特徴は、特定の仲裁の結果がどれ位の法的拘束力を持つかということが必ずしも常に同じではなく、当事者間で前もって交渉し同意して決定されるということです。例えば、「今回の仲裁の結果に必ず従う、負けてもそれ以上の『上訴的』な行動は取らない」「今回の決定が下された後は、どちらも、また別の例えば訴訟というような法的手段には絶対訴えない」というような約束を前もってしてから仲裁に入るということです。勿論、合意をして仲裁に入ったものの、結果が出たときにはその結果に絶対納得が行かないとして、裁判所に仲裁の結果について「判断」を仰ぐということも不可能ではありません。しかし、仲裁の結果を裁判所が確認する場合には、一般的に仲裁結果を放棄できる根拠が比較的制限されており、結果を逆転させることはそれほど簡単ではありません。

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 仲裁の利点の一つは、仲裁者を当事者が選択できるということです。米国の裁判では、民事の場合でも当事者の一方が希望すれば陪審員を伴う公判を行うことになりますが、日本の企業にとっては常に「米国人の陪審員が、反日的な偏見を持っていたり、地元の米国企業に味方するのではないか」というような心配に悩まされることになります。特許権をめぐる訴訟の公判では、ほとんどが一般の主婦であったり科学教育を特に受けたわけでもない陪審員たちの前で、両方の当事者の技術者やそれらの当事者のために証言する目的で特に雇用されたエキスパート・ウィットネス(専門家の証人)たちが延々と「半導体の基礎技術」や「特殊な技術的特徴のミクロンの世界での相違点」を議論してみせ、何とか自分の立場の方が正しいということを陪審員たちに印象付け「勝利の評決」を獲得しようとします。しかし、同時に両当事者の深層心理には、常に「陪審員の人たちはこんなにレベルの高い科学的な議論を本当に理解できるのだろうか」という大きな疑問と、「理解できない人たちに評決されてしまう」そして「その評決の結果が会社の将来にわたって数千万ドル、数億ドルのレベルでの損害を与える可能性」にまつわる大きな不安が存在します。仲裁の有利な点は、特に争点になっている技術に詳しい、その業界での訴訟に慣れた弁護士や元裁判官などを仲裁者として選ぶことができ、「素人判断の恐ろしさ」を避けることができるということです。また、必要な費用も弁護士料やその他証拠開示のための費用など膨大な額を必要とする公判を伴う裁判と比べて、仲裁だけで解決する場合には相当に少ない額ですみます。公判を伴う場合と比べ、仲裁の期間は通常はるかに短いためにその意味でも当然費用の節約ができます。

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 アリゾナでは、離婚の訴訟を起こした場合にも、裁判に入る前にまずは調停をして合意に至れるか試すようにと裁判所の方から指示されることが多くなっています。企業間の紛争の場合にも、調停を経て合意にいたらず、仲裁に入るという例もあります。国際的なビジネス間の紛争でも仲裁という解決手段がよく利用されます。

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 一般の訴訟に比べて、時間、費用、その他の点で有利になりえるADRの方法が有効に利用できるように、「予防」的措置として、商業的な契約その他の契約の条項として紛争が起こってもすぐに訴訟を起こすことなく「調停や仲裁」をまず行うと規定しておくことも賢明なやり方でしょう。個人のレベルでも、企業のレベルでも、紛争に巻き込まれたり訴えられたりした場合、まずこのような調停・仲裁の可能性を探ることをお奨めします。