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2022年6月2日

今回の国籍法11条1項に関する提訴に至った背景と経緯

1.1984年国籍法改正運動に関わった経験
 1984年に改正される以前の日本国国籍法は日本人父のみに日本国籍を子に伝える権利を付与していた父系血統主義を原則としていました。1980年代にこの旧国籍法を女性差別撤廃の観点から父母両系血統主義を原則とする国籍法に改正するための運動に参加した経験から、日本国憲法が両性の平等を謳っているにもかかわらず女性を差別する悪法であれば改正を要求することは、国民、女性としての当然の権利であり義務であると実感しました。そして多くの人々が参加した運動の成果、沖縄の無国籍児の問題を人権問題として取り扱ったマスコミの報道の成果、および日本政府に対して「女性差別撤廃条約」に加盟するようにという海外からの外圧などが連動し、改正直前まで悲観的とも見られていたにもかかわらず、1984年に国籍法改正を実現できたという原体験から、既存の法律が永遠に正しいわけではなく、時により悪法と思われる法律に直面した場合には、これを改正または撤廃すべく努力することが時代の変化に適応するそして社会をより良い方向に動かす力になると確信するに至りました。
 1984年に出生した娘は、この改正の恩恵を受け、翌年に同改正が施行されると5年間の特例経過措置を経て日本国籍を取得することができました。私自身も、この国籍法改正の恩恵を受けることができました。この改正がなければ日本国籍者である自分が生んだ子は父が日本国籍でないという理由で外国人としてしか認められず、日本において国民としての基本的権利を与えられないまま生活することになったはずでした。
 改正決定以前に国会などの議論でよく聞かれたのは、「女性は嫁したら夫の苗字となる」のと同様に、「外国人に嫁したら日本人としてではなく夫の国で暮らせばよいのでは」というような議論でした。また明治憲法下で採用されていた旧国籍法には、外国人に嫁した日本人女性の日本国籍を自己の意思に関係なく喪失させるという規定もありました。
 今回問題になっている国籍法11条1項の条文は「日本国民は自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」という規定です。この規定について考えれば考えるほど、時代錯誤的、当事者の国籍選択の自由(日本国籍を喪失しない権利を含む)を一方的に奪う悪法であるという結論に達し、これを改正または撤廃するために努力すべきと考え、国を相手取って提訴するに至りました。
 このような規定を適正であり合法であると主張する議論の背後には、上記の「他家に嫁した女性。。。」「外国人に嫁した女性は日本国籍を喪失させる」という考え方の延長線上にある「外国に帰化するような日本人は日本国籍を喪失させてよい」という論理が存在するような気がしてなりません。日本国政府が該当すると考える「日本人」の枠にはまらない人々を排除し、日本国籍を奪い、最終的には棄民するという政策と思えてなりません。

2.個人的な事情
 これまでの人生のほぼ半分を日本で過ごし、半分を外国、主として米国で過ごし、1997年から2022年まで25年にわたり米国アリゾナ州の弁護士として在米日本人および日本出身者または日本国内に在住する日本国民および外国人(主として米国人)に日米関係法律相談や弁護活動を行ってきた中で、国際化する家族関係(国際結婚および国際離婚、日米に関わる相続など)や日本国国籍法関連の相談を数多く受けてきました。
 個人的には自己の問題として長期間米国に滞在し米国籍を取得する必要が生じ、その後国籍法11条1項の規定から「日本国籍を喪失した」とみなされ日本国パスポートの発行を拒否されるに至ったという経緯があり、現在は日本に帰国し永住したいと望んでいますが困難に直面しています。
 現在、父方の先祖たちが長く暮らしてきた現福岡県久留米市の本籍地に近い福岡県糸島市に暮らしていますが、日本の近代国家の始まりである明治政府が成立する以前からこの本籍地周辺に暮らしてきた先祖たちから受け継いだ日本人としての誇り、文化を受け継いでいる日本人であるというアイデンティティを捨てたことはありません。
 このようなアイデンティティと日本人としての権利を国籍法11条1項の簡単な規定により本人の同意なく一方的に奪われるということには到底承服できず、これまで戸籍法上提出の義務がないとされる国外で暮らしていた間も日本国内に暮らしてきた間も「国籍喪失届」は提出しておりませんし、今後も提出しない決意です。このため、私の戸籍は抹消されず、そのまま存在しています。日本のパスポート更新を2017年12月に拒否された後、2018年1月に他に方法がなく出国手続きに使用した私の米国パスポートには、日本国羽田の入管の担当者が外務省と協議の上「今回は日本人として出国してもらいます」と私に伝えると同時に出国スタンプの下にボールペンで「重国籍者」と書き込んだ文字がそのまま残っており、いわばグレーゾーンに存在する日本人のような気がします。いずれにしても、私自身は、先祖から受け継いだ命を終える日まで日本人であることを止めるつもりはありません。

3.国籍法11条1項が適用され、日本国籍を喪失した者は、この規定が存在するという理由のみをもって、喪失した本人が日本国籍を放棄・喪失を納得して外国の国籍を取得したという日本政府による実態とかけ離れた虚構(フィクション)に基づく正当化
 日本政府としては、国籍法11条1項が「日本国民は自己の志望によって外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」と規定するので、そのような法律が存在する事実をもって、自己の意思で他国の国籍を取得した日本国民(帰化した者を含む)は当然すでに「日本の国籍を喪失すると納得した上で当該他国の国籍を選択した」いう事実とは異なる虚構(フィクション)を主張し、そのことをもって国籍法11条1項は合理的な目的をもって成立し適正に実施されている正当な法律であり同法を適用される日本国民の国籍選択の自由を侵害するものではないと主張していますが、私が相談を受けた数百人を下らない人々は、そのほとんどが、「私はXXX国に帰化した二重国籍者ですが。。。」という文言を相談の「枕詞」のように述べます。つまり、その人たちが自己の意思で他国に帰化するという行為を行った時点でその行為が日本の国籍を(即時)喪失させるということを全く知らなかったということは明らかです。
 私自身も米国に留学した1971年の時点から米国の国籍を取得した時点(2004年)までを振り返ると、パスポート更新時などに国籍法11条1項についての説明や警告を受けたことは一切ありませんでした。その後も複数回日本への入・出国を繰り返してきましたがそのような国籍法11条1項についての説明・警告を受けたことはありません。2004年に米国籍を取得した後、日本のパスポートを更新した際には口頭で「他国の国籍があるか」という質問に対して「米国籍がある」と回答し、全く問題なく日本のパスポートは更新されました。同様に2017年に新橋のパスポート事務所に出向きパスポートの更新をしようとした時に初めて政府の広報として窓口に大きなポスターが貼られ、日本国籍を喪失した者がパスポート申請を行うことは違法である。。。云々と書かれていたことを記憶しています。
 このような状況の中で、自己の志望で他国の国籍を取得した日本国民が日本国籍を喪失させられることに同意したと主張する日本政府は、少なくともその広報活動において極めて怠慢であったとしか言いようもなく、自らは広く日本国民に国籍法11条1項の規定について広報する義務を果たすことなくまた、現実に外国の国籍を取得した日本人たちが実際に同法について知識を持った上で納得して行動したのかということを調査することもなく一方的に「自己の意思ですでに国籍を喪失することを選択した」と主張するのは、当人たちの意思を勝手にその権利がないにもかかわらず代弁する無責任かつナンセンスとしか言いようもないものです。国は国籍の喪失という重大な国民の権利の喪失に際して権利の擁護という観点は完全に欠如したまま、重大な事柄であるという意識も人権の侵害に当たるという意識も皆無と見られます。日本政府の上記のような主張は、到底受け入れることはできません。 

4.国籍法11条1項が悪法であるという理解
 以上のような私個人の経験と状況また相談を受けた多くの方々の困難と苦しみを知った結果から、日本国国籍法11条1項は、日本国の出身者であり、日本人・日本国民であることを止めたという意識を待たない数多くの人々を「重国籍をできるだけ減らす」という一見合理的であるように見える目的をはるかに超えて、自分の生まれた国へ帰る権利という基本的な人権を本人の意図を確かめることなく奪い極めて重大な権利の侵害の被害者を数多く生み出しつつあるということから、改正または廃止されるべき悪法であると考え、日本国を相手取って提訴することが日本国に生まれた者の義務であると考えました。

5.私個人の困難と弁護士としての活動の中で相談を受けた数多くの人々の苦しみと困難
 長年にわたり、数百人を下らない、主として米国に帰化した日本人たちとその他の国の国籍を取得した世界中に住む日本人、または近い将来帰化しようと考えている日本人たちから相談を受け、国籍法11条1項が当初の目的であった「重国籍者をできる限り少なくする」という目的を達成することを超えて、11条1項が適用される者ばかりでなく、それらの人々の日本に残っている家族、また子や孫の世代にまで大きな苦しみを与えるという悪影響が出ているという社会にまだ広く知られていない事実を知るに至りました。つまり、法の規定の当初の目的である「重国籍者をできるだけ減らす」という一見合理的な理由では、到底正当化できないほど重大な意図されなかったかもしれない結果・悪影響(人権侵害など)が生じるに至っており、法としてバランスを欠く状況をもたらし、数多くの人々が困難に直面しています。
 今回日本国政府を相手取って提訴するにあたり、自己の権利を主張するだけでなく、こうした国籍法11条1項の規定のために苦しみに直面した人々の声を代弁する意味も重要と考えています。そのような声の中には、今回のCovid 19(コロナ)の状況の中で、日本パスポートを所持する者だけが日本に帰国できるという状況が長期にわたり続いたために、「親の死に目に会えなかった」「日本のパスポートが取得できず、帰国できない」「日本で親族を訪問したいのでVISAを交付してくれるように領事館に依頼したら、国籍喪失届を提出しない限りVISAは出せないと脅迫された」「他国に帰化したが、日本のパスポートも所持している、これは犯罪に当たると脅された、私は逮捕されるのですか。心配で夜も眠れない」。。。などといった苦痛と苦悩がたくさん生じている状況を知るに至りました。ご当人も困難に直面していますが、そのような方々を日本で待っている親御さんや兄弟姉妹たち、子供に会えず永遠に旅立ってしまった方々も数多くいるようです。その方々の苦痛を考える時、国籍法11条1項が「自己の志望により他国の国籍を取得した者」に該当する当事者のみでなく、その近親者たち、つまり日本に居住する日本国民の基本的人権も同時に侵害しているという悪影響がすでに出ているという事実にも目を向けるべきです。
 「重国籍者をできるだけ減らす」という当初の国籍法11条1項の目的は、到底このような極めて重大な人権の侵害を正当化できるものではないと考え、この法律の廃止または国籍の自動喪失ではなく真の意味での各個人の自由意思による国籍選択の権利を保証する法律への改正を強く望み、今回の訴訟を進めて行く覚悟です。

近藤ユリ
米国アリゾナ州弁護士

別紙1 提訴の経緯
(1) 日本国籍の取得
 原告は、1947(昭和22)年2月12日、神奈川県鎌倉市で日本国籍の父の子として出生し、日本国籍を取得した。
(2) 米国国籍の取得
 原告は、1971(昭和46)年、米国に渡り、米国の大学院に進学した。その後、原告は米国の永住者カード(グリーンカード)を取得した。
 原告は、1984(昭和59)年に米国で出産し、同年12月に日本へ帰国し、およそ6年間、日本で子育てをした。永住者カードといっても6カ月に一度は米国に戻らないと失効する不安定な資格であるため、原告はこの間、年に2〜3回、日米間を往来して、永住者カードの失効を防いだ。
 原告は1991(平成3)年、米国へ渡り、アリゾナ州に自宅を購入した。その後、原告は、ロースクールに通い同州の弁護士資格を取得し、1997(平成9)年5月、同州で弁護士業務を開始した。
 2004(平成16)年、原告は、米国国籍を取得した。動機は、米国での参政権を行使して大統領選挙で投票したいと希望したこと、米国でこのまま長く暮らすであろうと考えていたこと、米国国籍のないまま米国で生活を続けると税務上不利益な点があること(米国人の配偶者は米国国籍でないと遺産税が不利になることもある。)などであった。
 米国国籍を取得した当時、原告は、国籍法11条1項の条文は認識していたが、同条項が外国国籍の取得時に機械的に日本国籍を剥奪するものとして運用されていることは知らなかった。というのも、同条項には日本国籍の喪失時期が明記されていないし(「とき」は「場合」を指すものと解しうる。)、国籍の得喪は本人の意思に依らなければならないとする「国籍自由の原則」(世界人権宣言15条2項参照。)に照らすと、日本国籍喪失に向けた本人の具体的行為がないにもかかわらず同条項による日本国籍喪失が生じるとは考えられなかったからである。
 加えて原告は、多くの人たちが米国国籍を取得した後も日米両国のパスポートを所持して問題なく日本と米国を往復していることを知っていた。原告は、自分もその人たちと同様の方法で日米を往復できるものと考えていた。
(3) 国籍法11条1項の行政解釈を知った経緯
 米国国籍を取得して間もなく、原告は、日本のロサンゼルス領事館の領事及び国籍担当職員を名乗る人物と会食した。その際、原告は、当該担当職員から国籍喪失届(戸籍法103条)の書類を渡され、その届出をするよう厳しく求められた。原告はこの時初めて、国籍法11条1項が外国国籍の取得時に機械的に日本国籍を剥奪するものとして運用されていることを知った。
 しかし、原告は、①国籍法11条1項は同条項を知らなかった日本国民や日本国籍の放棄・離脱を望まない日本国民の日本国籍を失わせる不当な規定であること(「国籍自由の原則」違反)、②同条項にかかわらず帰化により米国国籍を取得した後も日米両方のパスポートを所持して問題なく生活している人が大勢いること、③被告がこれまで同条項の周知に努めたり同条項の適用を徹底したりするのを見たことも聞いたこともなかったこと、などから、国籍法11条1項は不当で実体のない規定だと考え、国籍喪失の届出はしなかった。基本的人権を守り将来の世代に伝えるために不当な法律やその運用に対して不服従を貫くことは憲法11条、12条及び97条により個々の国民に信託された憲法上の義務である。原告の行為は憲法上のこの義務を遂行するものであった。
 なお、戸籍法に関する被告の解釈・運用では外国国籍を取得した外国居住者には国籍喪失の届出義務はないとされており、上記領事館職員らの指導は法的根拠を欠くものであった。
(4) 2008年の入出国と日本の旅券再発給
 原告は、2008年1月24日、日本に帰国して入国審査を受けた際、日本の旅券を提示したところ、入国審査官から旅券の有効期限が切れていることを指摘された。入国審査官は、原告に対して、「他の国のパスポート持っていますか」と尋ね、原告が「米国のパスポートを持ってます」と答えると、「では外国人として入国して日本の旅券を入国後すぐ再発行してもらい、そのパスポートで出国してください」と指導した。原告は、入国審査官の指導に従い米国の旅券で入国審査を受け、日本国内で日本の旅券の再発給を申請した。旅券再発給の申請の際、原告は、旅券事務所の職員から「他の国の国籍があるか」と口頭で質問されて「米国籍があります」と回答したが、それで問題が生じることはなく、旅券再発給の申請手続が完了した。
 原告は、同年1月29日、日本の旅券の再発給が間に合わなかったため、米国の旅券を用いて出国した。
 原告は、同年4月5日、日本に米国の旅券を用いて帰国した。
 原告は、再発給されていた日本の旅券を日本国内で受領し、同年4月17日、日本の旅券を用いて出国した。
 これ以降、原告は、日本への入出国には再発給された日本の旅券を用いるようになった。2017年12月15日の帰国が、同旅券による15回目の帰国となった。
(5) 2017年の旅券更新申請と不発給処分
 2017年12月18日(月)、日本に帰国していた原告は、東京都の有楽町パスポートセンター(東京都旅券課有楽町分室)に、旅券更新申請の書類を提出した。当時原告が所持していた日本の旅券は、翌年1月30日が有効期限だった。
 翌々日(12月20日)、原告に同センターから電話があった。原告は、同センターの職員から、「外務省のデータによるとあなたは米国に帰化している疑義が大であるので、日本国のパスポートを発行できません」といわれ、22日(金)午前中に「一般旅券申請取下書」を提出するために同センターへ来るよう、指示された。
 原告は、12月22日、知人らと共に有楽町パスポートセンターを訪れた。 原告は、同センターの「二重申請該当者/未交付失効該当者」向けのブースで、同センターの職員の説明を受けた。その職員によると、①原告の申請は、原告が日本国籍を喪失しているのではないかという疑義があるため、“審査中”という状態にあり、②審査を終えるには、原告が申請を取り下げるか、原告が日本国籍を喪失していないことを裏付ける文書を提出することが必要で、③このいずれもなされない場合、“審査中”の状態が続き、旅券更新申請書の有効期間である6カ月の経過をもって申請書は「未交付失効」となり廃棄されることになる、とのことであった。
 原告が「一般旅券申請取下書」を提出しない旨を伝えると、職員は驚いたようであった。同職員によると、不本意でも大抵の人は「取下書」を提出しており、「外国の国籍を取得しているので旅券更新できません」と申し渡して「一般旅券申請取下書」にサインさせて“審査”終了になるのが通例とのことであった。
 また、原告が、「パスポートは返却してもらえるのか」「返却できないのであれば、パスポートのコピーをとってもらえるか」「パスポートのコピーを渡せないとする根拠は何か」などの質問をすると、パスポートセンターの職員は、その都度、外務省旅券課に電話で確認していた。
 原告は、この日、旅券の返却を受けることもコピーをもらうこともできなかった。原告は「一般旅券申請取下書」を提出することなく、帰宅した。
 その後、原告は、羽田空港から出国する際、入管係官に米国の旅券をみせたところ、係官はページをめくって入国スタンプを探しはじめた。原告が、「日本のパスポートで入国したので、この米国パスポートには入国スタンプはありませんよ」というと、係官は「ちょっと別室でお待ちください」といい、原告を別室に案内した。15分ほどして、係官は、「今回は日本人として出国してもらいます」といい、その場で原告の米国旅券に出国スタンプを押し、そのすぐ下にボールペンで「重国籍者」と書き込んだ。
 2018年6月頃、原告が再び日本に帰国して滞在中だったとき、パスポートセンターから電話があった。原告は、「失効パスポートを返却します」といわれ、パスポートセンターへ受領に行った。
(6) 提訴の経緯
 2020年2月、原告は日本に帰国した。その後、コロナ禍により出入国が制限されるようになり、現在、福岡県で暮らしている。原告は、自分自身が高齢になってきたこともあり、ますます自分の先祖たちが暮らした場所(父方は久留米・福岡周辺、母方は千葉県の外房地域)の文化や人々の気質に親近感を感じるようになり、日本在住の親戚との交流を深めており、将来は福岡県糸島市の自宅で暮らしたいと考えている。
 ところが、原告は、被告から、国籍法11条1項を根拠として日本国籍を失った疑義があると扱われており、日本の旅券の発給を拒否された状態が今も続いている。このままの状態で原告が日本を出国すると、コロナ禍で厳格化してきた外国人入国規制の下、原告は日本に帰国できなくなる可能性がある。
 原告はまた、弁護士として、外国の国籍を志望取得した多数の日本国民から法律相談を受けてきた。相談者の大多数が自分自身は日米複数国籍であると認識しており、国籍法11条1項の存在自体を知らなかった。そして、コロナ禍の最中に特に顕著に現れたのが、国籍喪失届を出さないと外国旅券で帰日するためのビザを出さないと領事館でいわれたという相談である。日本在住の親族が危篤になり、一目でも会いたいと望む海外居住の相談者らに対して、領事館職員は、国籍喪失届を提出すればビザが発給可能になる(しかしビザ発給の保証はない。)と迫っているのだという。外国国籍を取得した海外居住者には国籍喪失届を提出する義務はないにもかかわらず、しかもその相談者らに対して領事館は日本旅券の発給を拒否しているにもかかわらず、このような対応をする領事館の運用は、極めて非人道的である。しかも、相談者の中には、日本に帰国するためのビザが発給されなかったため親の死に目に会えなかった者が複数名いる。国籍法11条1項は元々は日本と外国との往来が容易ではなかった明治時代につくられた条項であるが、その条項が、日本と外国との往来が容易になった現代社会を生きる人々に対して、被告により非人道的な形で運用され残酷な事態を引き起こしている。原告は、日本に多くの親族が暮らしているところ、現状を放置すれば将来原告も上記の相談者らと同様の非人道的な運用を受けるおそれがある。
 原告の下には、次のような相談も届いている。在米国日本領事館が、米国国籍を取得した日本国民に対して、その者が国籍喪失届を提出しないと、たとえその者の親族が日本国籍しか有していなくてもその家族の旅券発給申請を受け付けないとする運用をしている、との相談である。日本国籍しか有しないその親族は、しかし日本旅券がないため日本国籍を有していることを米国政府に対して証明することができなくなり、米国での在留資格を取得・保持できず、不法滞在の外国人という地位に突き落とされてしまう。また最近増えているのが、米国国籍を取得した人が子どもの日本旅券の更新のために在米日本領事館に行ったところ、領事館職員から、両親の米国におけるビザは何か、子どもが生まれた時に両親に日本国籍があったかなど、背景を遡って詮索された、どうやら領事館職員が子どもの日本国籍を失わせる根拠を探しているようだ、という相談である。国籍法11条1項を知らずに米国国籍を取得して自分は日米の複数国籍だと思っていた人たちにとって、外務省・領事館によるこのような運用は、恐怖以外の何ものでもない。現状を放置すれば将来原告ものみならず原告の親族までも不当で差別的な扱いを受けるおそれがある。
 世界人権宣言13条2項はすべての人が「自国に帰る権利」(the right to return to his country)を有することを宣言し、自由権規約12条4項もすべての人に「自国に入国する権利」(the right to enter his own country)が専断的・恣意的に(arbitrarily)奪われてはならないことを保障している。原告が日本国籍を失ったとされて日本の旅券の発給を受けられないと、原告の「自国に帰る権利」及び「自国に入国する権利」を著しく制限されることになる。
 また原告は、自分のアイデンティティは日本人であると考えている。原告は、「鮭ですら自分の故郷に帰っていけるのに、何百年もの間この土地で暮らしてきた先祖の末裔が、なぜ故郷に帰ることを、国籍法11条1項のような時代遅れの不合理な法律によって、世界人権宣言や国際人権規約に反してまで、妨げられなければならないのか。」「こんな不当で残酷な扱いを許してはならない。」と考えて、本件提訴に至った。