2004年11月

 米国市民権をお持ちの方、11月2日を前にしてどの候補に投票しようか考えていらっしゃる頃でしょうか。私は、今年の1月に米国市民になり、今回初めて大統領、連邦議会上・下院議員、州の上・下議員その他の選挙に投票することになりました。実は、選挙投票日には投票所のモニターなどボランティアをする計画で、時間を有効に使えるように郵便投票をすでに済ませました。大統領として誰に投票するかは勿論投票権を持つ人々にとっては大変重要な選択です。特に今年の選挙は、イラク戦争の行方、経済特に雇用、健康保険などの問題で議論は白熱しています。それぞれの候補者は、ますます相手側候補に対する攻撃を拡大してきています。どの世論調査の結果を見ても、どちらが勝つか誤差の範囲で結論としては実際の投票結果が出るまで分からない、という解説ばかりです。今回の大統領選挙は、単に4年に1度の大統領選挙というだけではなく、また上記の問題ばかりでなく、今後の米国の方向性を決めるという意味で歴史的に重要な選挙でもあります。


 一つには、次の大統領の任期中に連邦最高裁判所の判事のうち2、3人が引退し、入れ替わるであろうと予想されることです。ブッシュ大統領が再選されれば、超保守的な判事たちを推薦するでしょう。現在の最高裁判所の決定はほとんどが5対4の決定となることが多いのですが、9人の判事のうち、サンドラ・デイ・オコーナー判事(アリゾナ州出身)は基本的には保守派であるのですが、時により女性や少数民族を擁護する意見に同意しいわゆるよりリベラルな判事たち(4人の少数派)に賛成票を投じます。これにより、最高裁判所の判決は、時によりダイナミックに変化する要素があるのですが、彼女が引退し超保守派の判事が任命されれば、このバランスは右よりに崩れることになります。ROE V. WADEの判例で守られてきた「女性の選択する権利(中絶の権利)」も反故になる可能性が出てくるでしょう。昨年最高裁判所が出したこれもまた5対4の判例で危機一髪容認された、少数民族擁護の立場から推進されてきた様々な政策の一つである、大学入学時の多様性(DIVERSITY:民族的、文化的、社会経済的に多様な背景を持った学生を入学させようとする努力)を大切にしようとする選抜基準などが後退することも予想されます。ご存知のように、米国の最高裁判所(一般に連邦裁判官は全て)の判事は、生涯雇用ですから、今回ブッシュ大統領が再選され、比較的若い超保守派の判事を数人任命すれば、その米国社会に与える影響は、40年以上もの長い間継続する可能性があります。これまで微妙なバランスを保ち、米国社会を急激に変革するような判例を回避してきた最高裁判所が大きく右旋回した判決を40年間出し続けたとしたら、米国社会はどのような社会になるのでしょうか。2000年の大統領選挙の結果が1ヶ月以上も決まらなかった時、複数の訴訟が両方の陣営から提訴され、最終的に「票の数え直し無し」という決定、つまりブッシュ大統領選出という結論を出したのが最高裁判所であったことを憶えていらっしゃる方も多いことでしょう。このような判決が「党派を超えた公平な判決」であった、と特徴づけるのはかなり無理があると思います。訴訟で争われる様々な問題が最後に行き着く最高裁判所による決定が、事前に「結果が決まっている」メンバー構成で固まってしまえば、社会全体としては融通の利かない、時代の動きについて行けない、社会のニーズに合わない最高裁判所になってしまう恐れもあります。最高裁判所がこのように固まってしまえば、下級裁判所、上訴裁判所でどのように斬新な判決が出ても、意味がなくなるでしょう。このような意味で、今後4年間の大統領を選出するという今回の選挙が、今後4年間にのみ関わるものではなく、米国の長期的将来を決める上で極めて重要な選挙であることは明らかです。イラク戦争、PATRIOT ACTの行方なども考えれば、米国ばかりでなく他国、ひいては世界に与える影響は計り知れないものがあります。


 もう一つ、今回の投票で気になった法案としてアリゾナ州のみに関するProposition 200(住民提案法案200)があります。日本ではこのような住民提案法案は、擬似住民投票以外に一般的な公の制度として存在しませんが、米国の各州の選挙ではしばしばこのような住民により提案された(実際には単なる住民ではなく政党・政治団体などにより提案せれることも多いのですが)法案が投票の対象になります。
このProposition 200は大きく2つの部分に分かれています。1つは、一見して「もっともらしく」書かれています。概要としては、選挙投票人登録の際に市民権を証明する書類を示すことを条件とする、また実際の投票日にも身分を証明する書類を示すという条件を課すものです。2つ目の部分としては、この法案は、州およびその他の地方自治体に勤務する者に公共の福祉の恩恵を受けることを希望する者から米国市民権を証明する書類を提示させる義務を課し、その者が移民法違反者であればこれを移民局に届け出る義務を罰則付きで課すというものです。この法案の動機としては、アリゾナ州民の税金が違法移民により無駄に遣われることを阻止し、違法移民または他の州で既に投票者登録をした者が二重に登録することを阻止しようとするものです。このような動機も、一通り主張を聞いただけでは「なるほど」と思わせてしまうような主張なのですが、もう少し深く考えるとこの法案が通過すれば(現在のところ通過するという予想)、様々な現実的問題を引き起こす可能性があることが分かります。


 州その他の地方自治体に勤務する者というカテゴリーの中には、救急病棟の医師、看護婦、ソーシャルワーカー、救急車のパラメディック、警官、消防士などという人々も入ります。これらの多くの人々がこの法案に反対しています。これらの人々は、一般的使命として医療上の問題、社会的生存のための問題、緊急の生命救護に関わり、人々を助けることを自らの仕事として考えている人々です。例えば、救急病棟、または救急車のパラメディック、消防士というような人々は、目の前にいる「生命の危機を抱えている者」に対して、「IDを見せろ、米国市民である証拠がなければ治療しない、とか火事の現場から救出しない」と主張できるでしょうか。これらの仕事に就いている人々自体が、「そんなことは不可能だ」とこの法案に反対しています。道を歩いていて急に意識不明で倒れてしまった「米国市民」「永住許可者」つまり合法的にアリゾナに居住している者でも、この法案が通過し法律として成立し、しかも救急医療に携わる人々が「法を遵守する立派な社会人」として「当法に忠実」に行動することになれば、意識不明でもハンドバックかポケットの中に「米国市民権を証明する書類(パスポートなど)」が見つからない場合、誰も救護に当たってくれない、という状況なども極端な例ではありえます。その意味で、この法案は一見「アンチ違法移民」の合法的な手段であるかのように思えても、「誰にとっても危険な」法となる可能性があるということが分かります。人命救助を使命として身を犠牲にする準備もあるような者を、違法移民の生命を救助し相手が違法移民であったことを通報しなかったことを理由に罰することが本当に社会的に公正なことでしょうか。違法移民に税金の無駄遣いをさせまい、と意図して、別の意味で社会的・人道上のコストをより大きくしてしまう可能性も大です。


 数年前にカリフォルニア州で類似した住民提案法案が成立し、違法移民の子供たちを公立学校、病院などの医療施設から閉め出し、公立学校の教師たちに「違法移民の子供たち」を移民局に報告させる義務を課したのですが、この法律は結局、多くの訴訟を引き起こし、現在裁判所の判決の結果、実際の施行が停止されたままの状態です。アリゾナのPROPOSITION 200も、もし住民投票の結果法律として成立しても、沢山の訴訟を招くだけで結局カリフォルニアの場合と同じ結果に終わるかもしれません。


 他にもいろいろと住民提案法案が出ていましたが、皆様、大統領の選択とともに、慎重に、賢明に、貴重な一票を投じてくださいませ。